『幼稚園行ってから困らないように』
まだ家庭で育っている3歳の女の子みさきちゃん(仮名)は、元気印の女の子。運動神経も抜群で、明るくて、社交的。でも、時々ほしいものがあると、他の子が使ってるものでも欲しくなっちゃう。
持ち前の運動神経と社交性が行動に結びつき、あれよあれよという間にさっと遊びを自分の物にしてしまう。と、小さい相手の子だとポカンとして、別ので遊ぼうかってなったり、同じくらいの子はとられてから怒って、お母さんになだめられてる。
昔、そんな子が、ある遊びの場所に来ていた。
私はその場所のアルバイトスタッフだった。
日々の終わりの小さな反省会。その日は、そのみさきちゃんの話題がでて、彼女にどう伝えていくか先輩と話し合っていた。
そこで先輩が何気なく言った。言っておくが、この先輩はよく考える、素敵な先輩スタッフだ。
『幼稚園に行ってから困るからね、今伝えていかないと』
先輩が言った言葉に、その時はうなずいた。
でもね、モヤモヤするのはなんだろう。
よく、
『幼稚園に行って困らないように』プレ幼稚園や習い事に通わせたりするし、見学に行ったプレの先生もそういっていた。2歳3歳の頃からよく聞いていた言葉。
(※プレ幼稚園とは、3歳で幼稚園入る前に入れる2歳児向けの教室。月1~週3くらいまで園によって様々。やってない園もある。)
そのときも、まぁ、そうだよなぁと思いつつ、そのために机に座る練習したり、集団に慣れる練習するのにモヤモヤしていた。
そこには、2種類の側面がある。
プレ幼稚園に行って、行く予定の幼稚園がどんなところか知ることは、良いと思うし、実際入る前に行くことでどんな園か分かって、受験するか決められる利点がある。それは、こどもがワクワクして次の世界に行けるようにするお手伝い。
一方の側面。
子ども自身を、幼稚園仕様にすること。プレが、4月に向けていろんなことが出来るようにと引き上げられる時間になっている。
上記の側面が『幼稚園に行って困らないように』の気がする。
幼稚園に行って困らないようにって、何が困るんだろう。
お友だちと上手くやれるか
先生の話を聞くことができるか
集団に馴染めるか
親の心配は確かにつきない。気持ちは分かる。
引き上げることの何がいけない?スムーズに幼稚園に行けた方がいい。そういわれれば、そうな気がしてくる。
じゃあ、なんでモヤモヤするんだろう。
そう思いながらすくすく子育てを見ていて、遠藤先生の言葉にハッとなった。
その回は、メディアとのつきあい方で、あるお母さんが今はITの時代だから小さいうちから触れさせたい、といっていた。
どんなメディアが良いか、一通りコメントしたあとの先生の言葉。
『乳幼児期を学童時期のための準備期間にしてしまっては、ある意味もったいない。』
あ、これだわ。
すとんと落ちる。
以前、
「かして」「いいよ」の先に|さんご @GMKqK45tieDHxCy #note https://note.com/sango522/n/nb6bd574d9180
を書いたときにも感じていた。
座ってられる子、我慢できる子、お友だちと上手くやれる子、主体的に勉強できる子
という理想があったとして、
座る練習、我慢の練習、自分のものを譲る練習、机に向かって勉強する練習
が、幼児期に必要なのか。先取りすることで、失われる経験がないか。
そして、必ずしも同じ練習を早くしたから出来るとは限らないというのも事実。。
なぜなら、それらはかぎかっこつきの、
『大人が指示して』がつくから。
大人の心配を解消するために、大人が指示して出来るようにするから。大人の価値観で子どもをとらえてしまうから。
子どもたちはいつも今を生きてる。
だから乳幼児期、そこから先も、その瞬間瞬間で、むしろいっぱい困って、考えたらいいと私は思ってしまう。
だから、幼稚園で、いっぱいぶつかればいいし、主張が通らない経験も、集団の楽しさも、ごった混ぜに楽しめばいい。
そして、最初の話に返ってくるけれど。
将来ではなく、今、その遊びの場で、みさきちゃんの行動を、受けとめ困っている相手の子がいる。
なら、みさきちゃんとその子たちとのやりとりにたいして、時に大人が対等にぶつかれるように支援したり、間に立って仲を繋いだり、その子を守ったり、上手い聞き方を伝えてみたりすればいい。
それは、幼稚園のためではなくて、『今』の課題で。
今、その課題に向き合えるように。一緒に考えていけるように、大人は今の育ちの助けになりたい。
幼稚園に行ったら、きっとその役を先生がしてくれるはずだと願っている。
(間違っても、一部をみて「悪い子ね」みたいな言い方をする先生でないことを切に願う。切に。本来は、幼稚園の先生にどう思われるかなんて、考えなくてもいいようになれば良いのになぁと思う)
幼稚園で、お友だち関係で困ったら、その時が幼稚園で育つチャンスにしていけばいい。
そんなことを考えていたら、今度は、小学校のニュースが流れてきた。
最近は、小一の最初からずっと座る授業は、組まれてないという。
昔は小一プロブレムと言われて、座ってられない子が増えて困ると嘆かれていたが、時代は変わっているんだ。
慣れる期間が設けられている。
入ってから。
これは心強い。
社会人のために大学(専門など)のために高校のために中学のために小学校のために幼稚園、保育園のために幼児期がある訳じゃない。
大人でもなかなか出来ない、"みんな仲良く"、"主体的に行動勉強"などを、幼児期に強いられたらたまったもんじゃない。
その子の心の成長に合わせて、小さな、『楽しい!』と、『困ったけどうまくいった!』『助けてもらった!』を積み重ねて、ゆっくり馴染んでいけばいい。
上手く馴染んだという事実よりも、紆余曲折のその過程が実はその人をつくり、血となり肉となると信じているから。
その瞬間瞬間で、親が出来るのは右往左往し、信じ、格闘するしかない気がしている。
人生は長く、どの時期も大事なその人の人生の一部だから。
だから、大人が勝手に恐れるあまり、大事な時期を準備期間にしてしまうなんてもったいないと思うのだ。