資本主義と民主主義の終焉

一九九五年には、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、沖縄県民総決起大会という今に至るまで影響を与え続けている大きな事件がありました。それにくわえて、と山口は指摘します。

まず、日経連から「新時代の『日本的経営』――挑戦すべき方向と具体策」と銘打った報告書が出され、今日の格差社会の種が蒔《ま》かれます。その趣旨は、労働者を幹部候補と専門職と派遣社員(非正規社員)に分類して、労働力の流動化を進め、人件費節約をはかるというものです。

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労働力の流動化が進み、人件費節約をはかることが可能になるということは、資本が強化され、労働者(組合)の分断、弱体化につながります。さきの三つの出来事とともに、今に至るまで大きな課題を突き付けている出来事なのです。

そして、社会の福利の資源である税金について、水野は述べています。

 歳入の基本となる税収は一九九〇年度の六〇.一兆円がピークであり、約三〇年後となる二〇一八年度は五九.一兆円(予算ベース)と、これを若干《じゃっかん》下回っています。この間、名目GDPは四五一.七兆円(一九九〇年度)から五四八.九兆円に拡大していますから、税収の源《みなもと》である経済規模は大きくなっているにもかかわらず、税収は増えていない。

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二〇一八年度の税収を、一九九〇年の率で計算すると七三兆円の税収になるります。国民生活に必要とされる「福利」は削減されるべきではなく、当然税金で賄われるものでなければならない、はずのものです。そして、減少している一三兆円は「福利」に関するもので、ますますGDP優先が実行されていることが推察されます。

これが、セーフティネットとしての社会の機能不全の原因となっています。

現在の民主主義には、資本主義による一定の生活水準の維持を必要とされており、それによってしか民主主義の維持はできません。新自由主義による格差社会、そして社会的弱者の存在と再生産、が存在する現状では民主主義は機能しなくなるでしょう。そしてそこでは、資本主義も終焉を迎えつつあるのかもしれません。

『資本主義と民主主義の終焉 平成の政治と経済を読み解く』
水野和夫 山口二郎 祥伝社新書 2019


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