ミャンマーの国民は、現在、一九八二年の「国籍法の改正」により、一三五に整理された土着民族であること、をその要件にしており、国籍は血統主義(両親のどちらかがミャンマー国籍をもっている)にしたがって付与されます。つまり、〈国民を土着民族に限定し、その他の人々と区別する〉(74頁)という意図がありました。
よく知られているように、ミャンマーは、ロヒンギャをバングラディシュからの不法移民だとしていますし、バングラディシュも自国民だとは認めていないので、無国籍、となります。
不法移民とされ、そして反イスラーム的な体制、それに対抗するかのように「海外のロヒンギャ・コミュニティから来た小規模な過激派集団」であるARSA(アラカン・ロヒンギャ救世軍)が二〇一六年、一七年に警察と国軍の施設を攻撃し、「土着民族としての国籍や国際機関の人権侵害に関する調査を求め」ます。それがロヒンギャ難民を生みだすことになります。以前から火の気はありましたが、民主化によるスーチー政権のもと、での出来事です。
民主化されたといっても、ミャンマーでは、国軍に政治的にも特権をあたえられたままです。そして、
二〇一七年のARSAの攻撃に対する、国軍の掃討作戦に関する公聴会が、二〇一九年一二月一〇日に国際司法裁判所で開かれました。ジェノサイド条約に違反した、という訴えがあったからです。そこでスーチーは、ジェノサイド条約違反を否定します。
ミャンマーでは、二〇一五年に続き、二〇二〇年の総選挙でも、スーチー率いるNLD(国民民主連盟)の大きな勝利となり、二〇二一年二月一日に軍事クーデターが起こりました。
中西嘉宏『ロヒンギャ危機 「民族浄化」の真相』 中公新書 2021