戦争しない宗教こそ浄土真宗その1

【戦争】

キリスト教もイスラム教も戦うだろう。
仏教や儒教にも戦いはあるのかもしれません。

しかし、ひと度戦ってしまうと
そこには、嫌悪感や憎しみ等 
負の感情しか生まれません。

イスラエルとパレスチナは
僕が幼少の頃より
世代を越えて戦って居ます。

どうしたら戦いを捨てて
幸せに暮らせる日が来るのでしょうか。

そんなことを考えて見たいと思います。

【喧嘩】

子供の頃、ヤラれたらやり返すが当たり前でした。

相手に怪我を負わせて
謝りに行く度に
僕は違和感を感じていました。

何故なら、争いのキッカケが
相手の悪戯だったからなのです。

どんなに相手が悪くても
最終的に怪我をさせた僕の方が悪いのです

そこには怪我をさせた罪悪感と
有耶無耶にされた、相手が最初に犯した罪の謝罪要求感が混じり合い
何とも気持ちの悪いものでした。


【自然から学ぶ】

ある春の日ざしが眩しい山で
出会った景色に驚かされました。

雪崩で根こそぎ流されてきた白樺の木がありました。

倒れて居るのに
新芽が空に向かい芽吹く姿を見て
僕は気がついたのです。

生きるってこういう事かと。
植物は誰を恨むこともなく
そこに芽吹き生きるのです

人の邪魔になれば倒され刈り取られても種を残し生きるのです。

誰かに土足で侵略された時には
まずは身を守るために逃げるのです。
そして、考えるのです。

そして、種を蒔き食料を作るのです。

腹一杯のライオンは戦いません。

食えないから侵略するのだと思います。

作物を育て、周りの人にも分け合うと
幸せなコミュニティができるのです。

【出来うること】

アフガニスタンで医者である中村哲先生は
自ら井戸を掘り、
重機に乗って川を作りました。

沢山の人々が
不毛の地に引いた水で
作物を育て食べれるようになり、
健康に暮らせる様に成りました。

中村哲先生の行為から
僕は仏教を感じたのです。

続く

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