『戦場のピアニスト』4Kデジタルリマスター版

言わずと知れた名作映画である『戦場のピアニスト』。恥ずかしながら未鑑賞だったので 4Kデジタルリマスター版の上映を見に行ってきた。

最初に湧いた感情は、陳腐だけど怒り。
映画の中には、目を瞑りたくなるような残酷な暴力シーンが多い。ユダヤ人だからという理由で、一方的に暴力を振るわれたり、行動を制限されたり、見下されたり。人としての尊厳を奪われる。どうして…。

街の人も、警察も、軍人も、人じゃないのか。他人を殴る、蹴る、罵る、嘲う、殺すことに罪悪感がないのか。多少はあるだろうに、なぜ至る所でそれが起きてしまうのか。人とはそういう性質なのだろうか。

次に湧き上がってきたのは無力感。
迫害を受けて潜伏している主人公の隣で、普通に暮らしている人がいる。真向かいに病院があるのに、肝不全に苦しむ主人公。暗くそこここに死体が転がっているユダヤ人居住区を囲う壁から一歩外に出れば、多少の貧富の差はあれど命や尊厳を脅かされることのない暮らしがある。

今の私は幸せな暮らしをしている側で、「壁の中」は分からない。
私は医師になろうとしてるけど、医師になって助けることができるのは病院に来る人だけ。「壁の中の人」ー病院のすぐ横の路地で絶望している人、全身が傷ついて死にかけている人、衣食住もままならずにいる人ーがいても、病院に来る人しか救えない。(実際には今の日本ではそんな人を見たら救急車でも呼んでくれるんだろうけど。)
私がどんなに苦しんでいる患者を救っている気になったとしても、病気になっていない人を救う術は医師は持っていない。苦しんでいる人がいるのに、助けられない。

それでも希望を捨てられないのが人間といったところだろうか。
ユダヤ人への迫害や暴力に心を痛めていたポーランド人がいたし、危険を犯しても友人である主人公を匿い助けた人たちがいた。不審な人物と対話する理性を持ち、ピアノの音色に心動かされ、ユダヤ人であると分かっていながら支援したドイツ将校がいた。

自分と違う人を怪しく思ったり、怖いと感じることは生物として当然のことだし、仕方のないことだと思う。
自分と違う人間には悪意を向け、役割を与えられればどこまでも残酷になることのできる人間は悲しい生き物だけど、地球の裏側にいながら同じ音楽を聴いて涙を流し、同じ絵を見て美しいと感じることができることもまた人の本質だ。

私たちは不都合な真実を自覚し、それでもなおより良い社会を目指していくことができるはずだと信じたい。



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