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大阪公大講座「講談の魅力」備忘録②―第2週目「政談」—
前回の続きです。
2週目「政談」
前半:テーマトーク
「政談」ということで、怪談よりは難しそうだと少し気構えて臨みましたが、「遠山の金さん」「水戸黄門」「大岡越前」など時代劇の話を掴みにして下さったので、すんなり入って行けました。
今日のトピックをまとめると、以下の通りです。
政談全体について
大坂が主舞台の政談も、実はあまりない。
大塩平八郎が主人公の講談もあることはあったが、人気にはならず現代には大々的には受け継がれていない。(瓢箪屋裁きくらい?)
京都所司代・板倉勝重が活躍する一連の政談があったが、それらが東京へ輸入され、現在では、大岡越前(忠相)のお裁き物としてリメイクされている。
奉行と町人の関係が、江戸と上方で異なっていた所以か。お裁きものが身近に感じられ聴き手に受け入れられやすいのは、江戸だったのかもしれない。
時代劇では「捕り物帖」という一ジャンルがあるが、講談に捕り物を題材にした(同心や岡っ引きが活躍する)話はほぼない。
時代劇の定番キャラは、講談に端を発するものがある。「遠山の金さん」の桜吹雪は松林伯圓の創作、「水戸黄門」の助格連れての諸国漫遊も大坂の講談発祥(後述)。
金さん・黄門様のように、有力者が町人に扮して市井に紛れ、事件を解決する型が定番化していくのは、明治時代の探偵小説からの影響もあるか。
「水戸黄門」について
水戸黄門が助さん・格さんを連れて諸国を漫遊するという定型は、明治時代の大坂の講談師が作ったもの。それが、映画・テレビに取り入れられて定着した。(※ただし印籠を見せる定番シーンは講談には無いらしい)
続き読みとして人気を博す中、物語を続けるために、全国各地を回って事件・問題を解決する型が出来ていった。
当時の講談本では、最終的には琉球まで行き、上海まで渡る予定だった…そう(未上演)。
注)大塩政談については、実録から講談への展開を論じた、下記論文が参考になりそうです。なお、トークでも出ていましたが、当初大塩が主人公の作品タイトルは『天保水滸伝』だったのだとか。その題名だと現在なら笹川繁蔵しか思い浮かべられないので、大変にややこしい…。https://www.jstage.jst.go.jp/article/kinseibungei/112/0/112_69/_pdf/-char/ja
後半:口演『水戸黄門漫遊記』
後半は、南海先生による口演です。40分たっぷりと。
演目は、『水戸黄門漫遊記』より。演題を聞きそびれてしまいましたが、現在は大岡政談として掛かる、「人情匙加減」の元ネタバージョンといった内容でした。
現在聞かれる「人情匙加減」は、次のような話です。
ある若い医者が、病気になった遊女を女郎屋から自宅に引き取って看病し回復させる。しかしその際に、年季証文を一緒に引き取らなかったために、快癒した遊女はふたたび、女郎屋に連れ戻されてしまう。返してほしければ年季奉公分の65両を払えと迫られるが、到底できない。そんな揉め事に対し大岡越前は、「1年の間に治療にかかった薬代は1250両。それを払うか、タダで遊女を引き渡すか」を、女郎屋の主人に迫る。到底そんな大金を支払えない主人は、しぶしぶ遊女を医者に引き渡し、二人はめでたく夫婦になる。
あらすじはほぼ同じなのですが、お裁きをするのが、大岡越前ではなく、お忍びで関西を漫遊中の黄門さまなのです。水戸へ戻るつもりで乗っていた船中でたまたま、医者と女郎屋との揉め事の噂を聞き、それはいかんというので、奉行所へ乗り込もうとします。ただ、周りの人々は黄門様の正体を知りませんので、「水戸光圀だ」と名乗っても信じてもらえず、挙句には「黄門を騙るニセモノ」として奉行所へしょっ引かれてしまうのです(その途中で、黄門様の顔を知る役人と行き会い、本物だということが皆の知るところとなります)。
上方らしいコミカルな黄門様、若干大坂弁なのも面白いです。身分を隠したお忍び旅だからこそ起こるドタバタ劇。講談におけるキャラや設定が、テレビドラマの黄門様のイメージの土台になっていることが良く分かりました。
ちなみに、「黄門様」といえば、皆さまは、どの俳優が演じたものを思い浮かべるでしょうか。私は、リアルタイムではテレビの西村晃版で見ていました。もっと古いものだと、映画の月形龍之介版が印象深いです。(西村晃さんは、どうしても、柳生烈堂のイメージが強いのです)
最後は脱線しましたが、2週にわたって講談の学びが深まり、とても有意義でした。