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3分講談「月の兎の由来」(テーマ:月)
「月には兎がいて、餅をついている」と、子どもの頃からなにげなく耳にしてまいりました。今でも、満月を見上げますと「ああ兎がいるな」と、その姿を確かめたくなるものですが、ではなぜ、月には兎がいると伝えられているのか、その由来となりましたお話は―。
まだ天竺と呼ばれておりましたころのインドに、大変に信心深い、猿・狐・兎がおりました。仏教では、前世で罪を犯した者が、けものに生まれるとされております。この三匹も、「来世こそはまた人間に生まれたい」と思いまして、日々一生懸命、徳を積んで暮らしておりました。
そんなある日のこと。三匹が歩いておりますと、道ばたに、みすぼらしいなりをして痩せ細った一人の老人がうずくまっております。「おじいさん、どうしたのですか」とたずねますと、その老人が申しますには、「もう何日も食べものを口にしておらぬのじゃ。わしには頼れる身寄りもおらぬ。お前たち、どうかひとつこのわしを、養のうてはくれまいか」と、そう言われました三匹は、もとより人助けをして徳を積むことを生きがいにしておりますから、「お安いご用でございます、我々におまかせください」と、二つ返事で引き受けました。
木登りが得意な猿は、桃・梨・あけびなどの果物を採って来る。知恵が働く狐は、川で魚を捕ったり、供えもののおこわや餅などをくすねたり。こうして二匹が、たくさんの食べものを差し出しましたので、それを食べた老人はすっかり元気を取り戻し、「猿と狐よ、お前たちは、けものの身でありながら、なんと慈悲深いことよ」と、大いに感謝をいたしました。一方、いたたまれないのは兎です。兎も、一生懸命野山を駆け巡って食べものを探そうと頑張ってはいるのですが、小さな身体に短い足では、十分なものを取ってくることが出来ません。
翌日、兎は猿と狐に言いました。「今からまた、野原に行って食べものを探してまいります。今度こそきっと、美味しいものを持ってまいりますから、火を焚いて待っていてくださいまし」。二匹が訝しがりながらも、言われたとおり火を焚いて待っておりますと、半時ほど経ちまして、兎が戻ってまいりました。けれどもやはり、何も持ってはおりません。「おれたちをだましたのか」「この役立たず!」口々に兎を罵ります。
すると兎は、「おっしゃる通り、私は役立たずでございます。ですからどうぞこの私の身体を、焼いて食べてくださいまし」と、言うやいなや火の中に飛び込んだ。「あっ!」と二匹が止めようとしたが―、…遅かった。兎はそのまま、焼け死んでしまいました。
この時、三匹の様子を何も言わずに見ておりました老人が、すっと姿を消したかと思うとたちまちに、帝釈天の姿となって現れました。実はこの老人というのは、仏教の守り神である帝釈天が、三匹の慈悲の心を確かめるために、身をやつした仮の姿でした。帝釈天は、嘆き悲しみながら、兎の亡きがらを抱きかかえ、「お前は身を挺して食べものを差しだそうとした。その慈悲深い心は、決して忘れまい」とおっしゃいまして、未来永劫、その姿が人々の目に触れるようにと、兎を月の中に留め置いたと伝えられております。
「月の兎の由来」と題する一席でございます。
(『今昔物語集』より)