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3分講談「孝行問答」(テーマ:自由)
「孝行の したい時分に 親はなし」なんてことを申しますが、江戸時代、この「孝」という概念を、ことのほか重んじたのが、五代将軍・徳川綱吉でございました。ま、綱吉といいますと、真っ先に思い浮かびますのが、あの悪名高い「生類憐れみの令」ではないかと思います。その極端な政策から、「犬公方」などと渾名されるわけありますが、綱吉の政策の根底にございましたのは、「儒教」という学問の考え方だったそうですね。中でも特に重んじられたのが、「忠」と「孝」、「忠」は主君によく仕える心、「孝」は親を敬い重んじる心ですが、綱吉は、人々の道徳心でもって平和な世の中を作ろうとしたのでございます。(①)
さて、その綱吉が行った政策のひとつに、「孝子表彰」―つまり、親孝行な者を探し出して表彰する、というものがございました。表彰されますと、それ相応の褒美がもらえますので、こう聞くと、表彰されたい人が続出した…かと思われるところなのですが、どうも実際は、そうはならなかったようですね。と申しますのも、表彰されますと一躍有名人になりますから、自分の村はもちろん、全国各地から人が押しかけたそうで、見ず知らずの人がひっきりなしにやって来ては、やれ「孝行話を聞かせてくれ」だの、やれ「一筆サインを書いてくれ」だのとせがむ。こんなことが続きますと、暮らしも仕事も立ちゆきませんから、表彰されるのも、ありがた迷惑といったところがあったようで、こんなお話が残ってございます。(①)
駿河の国(現在の静岡県)に住まいしておりました、中村五郎右衛門という人物。あるとき、この五郎右衛門のところへ、江戸からはるばる役人がやってまいりました。
「五郎右衛門、その方は、大変に親孝行者であるそうだな。表彰をいたすから、我らとともに江戸へ参るがよい。」
「めっそうもございません、誰が申したか分かりませんが私は、決してそのような孝行者では御座いませんので…どうかご勘弁を願いとうございます」
先ほど申しましたように、表彰されますと身辺がややこしくなりますから、五郎右衛門のほうも何とか断ろうとする。しかし役人のほうも、せっかく駿河の国まで来たのだから、何とか江戸へ連れて帰りたい。
「奥ゆかしい者であるな。遠慮は要らぬ、江戸へ参れ」
「いえいえ本当にご勘弁を願います」
「そう言わず江戸へ参れ」
「ご勘弁を」
「ええい小癪な、引っ立てい!」
もはや表彰だか捕り物だか分からなくなってまいりますが。
「お役人さま、私は表彰などしていただける者ではございません、と申しますのも、とんだ親不孝をしてしまったことがあるのでございます。」
「…何、親不孝?…それは聞き捨てならんな。して、どのようなことを致したのじゃ」
「ようお聞き下さいました。今から二十年ほど前のことでございます、ある祭りの晩に、二親と共に出かけておったのでございますが、私少し用事がありましたもので、先に家に帰ったんで。ですが、疲れておりましたもので、表に閂をかけて、そのまま眠ってしまったのでございますよ。後から帰ってまいりました二親は、仕方なく垣根を破って家へ入ったという次第で、あとで大層叱られました。このようなことで、私はとんだ不孝者でございますゆえ、どうぞご勘弁を」
「…それだけか。それだけか?そんなことは日常茶飯事であろう。それよりも、二十年も前のそんな些細なことを覚えているとは、その方はやはり、稀代の孝行者である。さあ、江戸へまいるぞ」(①)
可哀想に五郎右衛門、半ば強制的に江戸へ連れて行かれまして、表彰を受ける羽目になりました。ですが、この時の褒美として生涯、年貢を免除されたというのですから、まんざら悪い話ではなかったのかもしれません。「孝行問答」という一席。