「少し違う」は「はるかに違う」
年の瀬が近づくと、街は一層の賑わいを見せる。煌めくイルミネーションが通りを彩り、いつもとは違った表情を覗かせる。心もどこか浮き立つ。そんな中、私を悩ませるのは毎年恒例のプレゼント交換だ。
相手が本当に喜ぶものを贈りたいと思うが、好みを正しく把握するのは難しい。カテゴリ的には間違っていないだろうと「近いもの」を選んだが、開封した相手の表情に微妙な違和感が浮かんでいることがある。紅茶好きの人にコーヒーセットを贈ってしまった場面を想定すると分かりやすいかもしれない。おそらく「え?」という顔をされるだろう。紅茶とコーヒーは「近いもの」と考えがちだが、プレゼントされた側にとっては大きな違いなのだ。
あなたがその分野でのプロフェッショナルではないなら、「手作りのもの」をプレゼントすることはお薦めしない。「製品」ではないものを大切な相手に贈るのには極めて高度な技術とセンスが要求されるからだ。食べ物で考えれば、味や素材といった品質面はもちろん、サイズ、重量、見た目、パッケージなど、何ひとつとして「製品」には敵わない。贈る相手がアレルギー体質だったら取り返しのつかない事故に繋がる。「手作りのもの」であるがゆえに、相手にとっては少々迷惑に感じられてしまう場合もある。
クリスマスには1年間の感謝を込めて相手に贈る。贈るからには喜ばせたい。喜んでもらうには、この1年間に費やしたリサーチ、言い換えれば相手への関心の高さが表れる。リサーチが正しく、相手が喜んでくれれば、分析から導き出した方策は充分に妥当であり、相手に対する理解も正しいということになる。そして何より、贈った側も嬉しい。
少し前の話になるが、私はその年に知り合った方にプレゼントを贈ることにした。私より10歳ほど年下と思われるその女性は、既婚であり、仕事仲間としてとても頼もしい存在だ。彼女は文房具が好きで、特に手帳やノートについて造詣が深いことを知っていた。そこで、上質な革製の手帳を選んでみた。きっと喜んでくれるだろうと期待した。しかし、彼女の反応は予想外だった。
「ありがとう。でも私、毎年同じシリーズの手帳を使っているの。」彼女は申し訳なさそうに言った。その瞬間、私は自分の検討が不十分だったことに気づかされた。文房具というカテゴリでは間違っていなかったが、最終段階で大きな過ちがあったのだ。彼女の手帳に関する見識の高さは私の認識以上で、試行錯誤の結果、愛用のその手帳に収束したのだろう。
少し違うは、はるかに違う。
もしもプレゼントが手帳ではなくノートだったら、あるいは、もっと違うジャンルのものを選択したなら、このようなバツの悪い結果にならなかっただろう。しかし、それなりには喜んでもらえたようで、今では彼女のクリスマス恒例の話題にされている。
希少で高価なものをプレゼントすれば、およそ多くの人は喜ぶだろう。しかしバーナム現象を期待するのは対人関係においては味気なく、相手へのリスペクトも関心も伝わらない。物品そのものよりも、相手を気にかける気持ちが大切だ。プレゼントは、相手への思いやりや感謝の気持ちを伝える手段であり、その透明で濁りない気持ちを届かせることこそ本質だと考える。
プレゼント選びは難しい。少し違うが実ははるかに違うこともある。しかし、相手を思いやる気持ちがあれば、その気持ちは必ず伝わる。相手を敬い気持ちを込めて選んだものであれば、その「少しだがはるかな違い」もまた良い思い出となり、お互いの絆を一層深めてくれることだろう。