恐怖と罪悪感と手放すこと、許すこと
最近気づきを記録します。
最近は朝起きるとニュートラルな気持ちの日が多いけれど、「現実は変わっていないな」「あの事が起きたらいやだな」「なった私なのに、どうして現実はなった通りになっていないんだ!」「既にあるはずなのにまだ見えない!」と思いつつもそう感じたら「知覚不全、知覚不全。これは幻覚だったわ」「全部幻、見えてない見えてない」と言い聞かす感じでした。
そして感情が我慢できなくなりました。出し切らないと我慢できなくなりました。
・友人の結婚式を心から楽しめなかったこと
・彼との関係でこの先不安に感じていること
・彼に言われて傷ついたこと、苦しくて悲しかったこと
どれも私の中で一人で消化することができなくて、彼や他の人にぶちまけました。でもおかげですっきりした気はします。
これが私なりの感じきる方法の一つなのかもしれません。自分一人で認めて、消化して、手放すこともできています。一方で誰かに話してそこに寄り添ってもらう、受け止めてもらうことで手放すことができる感情たちもいます。誰かに聞いて共感してもらうことで、こんなことを感じてる自分がいてもいいんだと、自分を許すことができています。
誰かも世界なので、世界=自分。自分を受け入れられてるのかな、と思います。セドナもよくやってます。終わった後にちょっと気持ちがスッとするのが好きです。
「現実化しないよ~」「いつになったら叶うの~」「現実は変えられないよ」「君はひとりだ」という声が頭の中をぐるぐるしながら目覚めた日もありました。
これらのことを止めずに感じきろうとしたら涙が止まらなくなり、感情が大爆発しました。この前日に「私の本願はもう神様に預けたから思考する必要ないんだよ」「今も過去も関係ない」「叶っていない彼がいるような現実があるけど、これは真実じゃない」「何を感じてもいい、何をしてもいい、どんな私でも大丈夫」と1日中考えていました。ここに1日中意識を向けた結果、抵抗が大爆発したのか、、?と頭が考えていますが、
それすら関係ないんですよね。と嵐が過ぎ去った私は思っています。
なぜ悲しくなるんだ、なぜ抵抗が大爆発したのか、自分と少し向き合ってみました。そうしたら「彼と結婚したら周りの人に嫌われる」「私の居場所がなくなる」「罪悪感を感じずに幸せになることは許されない」「自責の念を感じながら一生生きなければならない」「誰も喜んでくれないかもしれない」「みんなに白い目で見られる」「彼と結婚したら不幸になる」という信念がまだあったことに気付きました。
これらはセドナで手放しました。
また、「彼と結婚できなかったらどうしよう」「あの人が帰ってきたら彼と一緒にいられなくなる。私はどうしたらいいんだ」「彼があの人と暮らす家へ引っ越そうとしている。いやだ。引っ越してほしくない」というような未来への恐怖心や彼から言われたことを思い出して恐怖していることにも気づきました。恐怖心から逃げようと、見ないようにしようとすることで余計に支えてしまっていて、真実を見えないようにしているんだということにも気づきました。
これらの恐怖心は今目のまえで起きていないことに対する感情。だから私は一見すごくショックを受け深く傷つけられているように感じるけれど、実は1ミリも傷つられることはない。加えて私がこの目のまえで起きていないことに翻弄される必要もない。この出来事と恐怖心自体が錯覚である。本当の私は安全な場所にいて、安心していい。そう108さんが書かれているまとめを見つけて、とても安心しました。恐怖心を感じることも恐れなくていいし、気付いたら感じきって手放せばいい。なぜなら恐怖心が生まれても私を傷つけることはできないから。そう確信しました。
なったとしても現実はすぐに展開しないし、それをエゴは嬉々として「まだ変わってないじゃん」「何かしなきゃ」とかささやいてきます。一方で、さっきエゴはぽろっと「本当はもう彼と結婚してるはずなのに、私は一人だ」と、私に言ってきました。なんで本当を知ってるんですかね???あれ??と思いました。笑
エゴも実は本当を知ってるんですね。でも何かさせよう、思考させようとするのが彼らの仕事、私を見て!私を見て!と言っているようで愛おしくかんじました。
真実を見る方法も分からないし、まだ見えてないけど私は真実を見ます。現象化まだ~?とエゴがずっと言ってますが、現象化は既にしていて私が見えてないだけなので待つだけ無駄なんだよな、と思ってます。
彼の奥さんになってないじゃん!ってエゴが言ってますが、それもエゴによる勘違いで私は彼の奥さんです。
一瞬頭がおかしくなったのかなと思うような文章ですが、それが認識変更なのかもですね。自分は↑の文がおかしいとは思いません。
今日はこの辺にしたいと思います。もし最後まで読んでくださった方がいましたら、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。