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たまには、いいんじゃない?

私はとにかく、「頑固なオタク人生」を歩んできた。興味のあるものには一直線だが、そうではないものには手を出さない。悪く言えば、視野が狭い。

私とって、オタクになれる要素は「英語の学習」だった。学校と英会話教室を比べると、後者の方が圧倒的に好きだった。

学校では、英語を話すと、クラスメートたちから変な目で見られる。罵り言葉や、スラングも自由に言えない。グループワークでは、「この人(私)がいれば大丈夫じゃない?」と言われたこともある。それ、絶対私の仕事量が増えるやつじゃないか。

それに比べて英会話教室では、学べる範囲が広かった。一番の思い出は、スピーキングテストの時に、試験室から脱出できなかったことだ。もしもあの時、試験官の方が”push!”と言わなかったら、永遠にあの部屋から出られなかっただろう。ここから、「引いてダメなら押すべし」という、英語とは全く関係のないことも学んだ。

進路を決める際にも、英語を思いっきり学べるかという点を重視した。当時はずっと、「私の人生は英語と共に進む…」と考えていた。学び続けることは苦ではないし、成長を実感できる瞬間が楽しい。私には英語しかない。そう思っていた。

しかし、この考えはある2つの経験によって覆される。

1つ目は、自身の所属していた吹奏楽部での経験だ。

合奏に参加した時、

「実音A(アー)のひとー」

と言う言葉が聞こえた。所謂ドイツ音名。

また、楽器の名前を呼ぶ時にもドイツ音名が出てくる。チューニング(楽器の音を合わせる作業)の時にも出てくる出てくる…。最初の方は流していたが、ある疑問に行き着いた。

「あれ、どうしてアルファベットは一緒なのに、発音は違うんだろう?」

また、♭や、♯という音楽記号と、ドイツ音名が出会ったとしよう。何が起こるか。

答えは「しっちゃかめっちゃか」だ。

呼び方を変える必要があるし、記号によって発音が違う。音の組み合わせも覚えづらい。ここだけの秘密だが、特徴のある音の組み合わせ(アイス、ゲス等)が面白いと感じて、合奏中にワクワクしていたこともある。

2つ目の経験は、グリム童話の初版を読んだことだ。「グリムってドイツだったよな…」と思い出しながら、本を手に取る。その中には、エロとグロが混じった、なんとも言えない光景が広がっていた。

詳細を話すと、気分が悪くなる方がいそうなので割愛するが、とにかくストレートなのだ。主人公の身に起こったことも、それに関する苦痛も全てが手に取るように想像できる。

当時の私は興奮して、心の中で「うおおおぉぉぉぉーっ」と叫んだ。見てはいけないものを見てしまったという背徳感と、隠されていたものを見つけたことに対する高揚感が溢れてきた。

また、主人公に危害を加える人たちに一切容赦がないことに驚きを感じた。それなりのことをしているため、報いを受けるのは当然だ。しかし、童話のイメージとは異なる結末に対するギャップを発見し、それも高揚感に繋がった。

当時の私は、進路のことについて悩んでいたのだが、これほど楽しく悩みが吹っ飛んだことは人生で無かっただろう。

「これほど楽しい、悩みの吹き飛ばし方はないぞ!」

と思っていた。それと同時に、ある一つの考えが浮かんだ。

「英語とは違うことを学んでも、たまには良いんじゃないか?興味を持ったことを学ぶのが、私の人生の一部なのではないか?」

その考えに至り、「自身のこれから」の一部が決定した。

その後の行動は早かった。グリム童話の他の話を読んだり、ドイツの文化について調べたり。実際に現地に行って、自身の語学力を磨くまでになった。

この経験から時が経ち、今に至る。

もしも幼少期の私に、「現在の私」について話したとしよう。絶対に「は?」と言われるに違いない。自身のオタクになれる要素とは、別のことをしているのだから。

英語は私に、様々な経験をもたらした。だが、それだけに固執せず、「たまにはいいんじゃないか」の精神でいること。自身の興味や、欲求に素直になること。これが、想像していない未来への入り口なのではないかと思う。



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