休むことへの罪悪感の正体
皆さん、こんにちは。リカです。
今日は、罪悪感の正体を見つけたので、そのお話。
皆さんは、罪悪感を感じることありますか?
わたしはけっこうあります
・おいしいものを一人で食べてると、娘に罪悪感
・派手なお金の使い方をすると、娘や母に罪悪感
・みんなが忙しい時に、お休みをもらうことの罪悪感
・予定もない休日なのに、彼に会いに行かない罪悪感
最近だけでも、こんなにありました~。
自覚できるようになったので、そこに寄り添い自分を理解する時間にあてていますが、今回、この3つ目が強くて。
なかなか休日を楽しめなかったのです。
職場でコロナが広がり、そのための交代が起きている中、サポート業務の私は予定通り、今回土日を休んでいること。また月初もあっていろいろ書類も滞っているのに、休んでいる。通常土日休みだから、断り不要ですが、
こんな状況なのに、本当に良いかの断りなく休むということに、もやもや。
でもこれら私のエゴだなという葛藤があって、今回あえて上長に休みますを言わずに、休みました。
だって上司にしたら、もともとお休みなわけで、それを休みますっていうのは、気遣いのようで実際は「うん。どうぞ。そうして」「休みに出てほしい時は言うし」という話なんですよね。だからわざわざ言うのって、?ってことなんです。どちらかというと、明日休みなのですが「出勤したほうがいいのではないでしょうか」という出勤の相談であれば、理屈はわかるってもんです。
それでも、私がお休みいただきますと宣言したい理由は、「うん。いいよ。りかさん休んで」とあえて言ってほしいから。わかりやすく言ってほしいから。こんな状況の中でも休むことをいいよって言ってほしいから。つまり、相手の許可を頂戴としている、クレクレ聖人になっているんです。会えて、自分にグサッとくる表現をすると、特別感かもしれません。
そんなの忙しい時に、うざいですよね。
罪悪感の正体は、相手からの愛情や気持ちを引き出そうとする行為だなって思うんです。
でも、じゃあ、なぜ、そんな気持ちになるのか。
今回、みんなが大変な中を休みにしていいだろうかと土曜日になってもぐずぐずほぼ一日考えてた理由は、なぜなんだろうと考えると、ふと幼少期の思い出が脳裏に浮かびました。
それは、母が忙しくずっと働いているのに、母の手伝いをしないでいた。あの時の光景が思い出されるのです。私は母に弟たちとの間で特別扱いしてほしいの塊でした。リカちゃんは手伝い戦でいいよ、と言われて、母からの愛情をもらっているつもりでいたかったのです。だから、いつだってお手伝いしなかったし、その代わりに勉強して褒められたかったのです。でもずっと気になっていた。母の様子が。その時の気持ちと重なってしまいました。
根深いと思う一方で、休むことの罪悪感がわかってすっきり。
これからも思うだろうけど、あーこれは私の事情だなと思えるようになるし、そんなクレクレ成人することで回りを疲れさせたくないですからね。
気持ちよく過ごしたい
ひとつひとつ自覚することで、だんだんかわっていく。
自由な私に。