僕がFF14を辞めた理由。
はじめに
これを読む人は、FF14(特に黄金編の内容や開発の姿勢)に失望した人たちだと思う。なぜわざわざ読むかというと、自分と同じようにFF14に傷ついた人の感想を読むことで、傷が癒えるように感じられるからだ。だから、僕もたくさん批判的な記事を読んだ。僕も癒されたいからだ。
お互い、傷を舐め合おう。たかがゲームではあるが、かけた時間が圧倒的であるがゆえにこうなる。悲劇かもしれない。
なお、以前と違い、あまりFF14界隈のニュースを追ってないので、重大な事実誤認などがあってもご容赦を。
それに伴い、適宜加筆訂正がありうることもまたご承知を。
プレイ歴等
旧14からプレイ開始。以後、ナギ節(もうこの語すら使いたくない)での休止を繰り返しながら、休み休み黄金のレガシーの王位継承戦までプレイし、現在は無期限プレイ停止中。
零式や絶もプレイしていた。スクショ勢にはやや懐疑的(後述)。
自分にとってのFF14の魅力(だったもの)
このゲームに対してどの部分に魅力を感じる(感じた)かは、人それぞれだろう。
自分にとって、FF14の魅力は、大きく分けて二つある(あった)。
一つは、骨太のメインストーリー。
もう一つは、筋書きのないドラマ、である。
前者について、漆黒編をピークとして、その魅力あふれるキャラクターたちの群像劇は、今更説明は不要だろう。暁月編については、漆黒編ほどではないが、一つの大きな物語の締めくくりとして、それなりに大したものだったと思う。ちょこちょこ入る、あからさまなお涙頂戴パートや、安っぽいSEと絡ませたギャグパートは、うざかったが。
後者については、このゲームがネトゲであることに由来する。すなわち、見知らぬプレイヤーとの邂逅し、ときには軋轢を生み、そして高難度コンテンツを共にクリアした達成感のことである。高難度バトルコンテンツであればあるほど、クリアしたときの感動もひとしおであり、随分とその魅力(その魔力)に憑りつかれていた。
おそらく、共感は得られないであろうが、自分にとっては、見知らぬ者どうしが高難度バトルコンテンツの攻略に関して口喧嘩しているのをボイチャを通じて聞いていることすら、FF14をプレイしていなければ味わえない思いがけない突発イベントとして、このゲームの魅力(魔力)の一つであった。
もちろん、自分からトラブルを引き起こすようなことは一切しなかったが、自分が巻き込まれていない限り、見知らぬ他人同士がゲーム攻略に必死になって言い争っているのを聞いている分には大変楽しかった(悪趣味という批判は甘んじて受けます)。
以上のように、自分にとって、FF14の魅力は、骨太のメインストーリーと筋書きのないドラマであった。この二つが並び立ってこそ、自分の中では、FF14が成立していた。
言い換えれば、そのどちらかが欠けていれば、その魅力は大幅に半減しているように感じられ、FF14をプレイするモチベーションにならなかった。後で少し触れるが、7.0実装におけるグラフィックの改善(改悪)は、自分にとってはどちらでもよいことだった。
高難度バトルコンテンツをクリアしなければ手に入らない装備も、それを入手することで達成感を得られれば、それで十分であり、自キャラに似合うかどうかはどうでもよかった。
というわけで、グラアプデが成功してるかどうかは、黄金編に対する評価においては、重要な要素とはならなかった。自分にとっての最大の問題は、黄金編のメインストーリーのつまらなさだった。
以下、黄金編のメインストーリーのつまらなさを中心に、お気持ちを表明していくが、その前にグラアプデについて触れておきたいと思う。
黄金編に対する不満、の前にグラアプデについて
一般に、黄金編に対する不満は、大きく分けて、グラアプデとメインストーリーに関するものに分けられると思う。
既に述べた通り、前者についてはあんまりどうでもよかったので、あまり言及しないが、少しだけ触れておく。
たしか、黄金編の序盤のストーリーにおいて、やせた田んぼを復活させるとか何とかだったと思うが、プレイヤーに対して、草木が生えたフィールドにあからさまに注目させるようなクエストには、辟易した。アプデしたグラフィックの出来栄えの良さをみせつけたいんだろうけれども、狙いが見え透いていて不快だった。
ともかく、一般にはグラアプデについては不評であるが、もともとは、開発側が自信をもって実装したアプデである。そうであるにもかかわらず、ここまで批判が吹き荒れているのは、そもそも、開発とプレイヤー側の美的センス、美的感覚が全くずれていたせいではなかろうか。単純に、実装テストが全くの手抜きということなら論外だが(その可能性が高そうではある)、そもそもの部分で、美的センスが大きくずれていたのであれば、もうどうしようもない。コストのことを考えると、旧版のグラに戻すことなどありえないので(コストガー!)、ひたすらプレイヤーの意見を取り入れて、地道に改善するほかないだろう。もっとも、プレイヤーの意見を取り入れていくかどうかは、最近の運営のスタンスをみれば、極めて疑わしいが。
以上が、グラアプデに関するお気持ちである。他に何か思うところがあれば、追記する。
そういえば、X/Twitterを中心に、ゴッリゴリにGposerなどで加工しまくったスクショを投稿してる、おはミコスクショ勢が見られるが、そもそも、ゲーム内画像を権利者(スクエニ)の許可なく加工して投稿する行為は、正面から著作権侵害に該当するド違法行為だと思うんだが、あれってどうなの?
かわいいから許されるってこと?かわいいは正義??おはミコ無罪???
…それでは、黄金編のメインストーリーに対する不満を述べていきたいが、その前に、これまでのFF14に対する不満について、触れておきたいと思う。
どうせ、最後だし。大したものではないが、思いの丈をぶちまけておこう。
黄金編までのFF14(とその運営)に対する不満
一番休止期間が長かった紅蓮編においては、メインストーリーはつまらなかったものの、その不満は、なーんにもしてないリセが終始偉そうに振舞っていたことに起因するので、黄金編ほどの不満ではなかった。別にゼノスも嫌いではなかったし。
最初に、おや?と思ったのは、いつだったか、全世界累計登録アカウント数1000万人突破だかなんだかのしょーもないお祝いだったように思う。それより以前に、Y氏は、「アカウントだけの数なんて意味はない」、とか言ってたのに、あっさりとそれを忘れたのか、実稼働アカウント数ではなく、登録者数のみを誇っていた。
自分にはそのことが、Y氏が以前の言動を軽率に反故しているように受け取れて、その頃から少し信用できなくなっていった。
ともかく、紅蓮編は許容範囲だった。そして、漆黒編に入り、とても楽しくプレイできた。とても感動した。あまりにも感動しすぎて、その時にスクエニの株を買った。当時は、1株3500円くらいだったと思う。それ以降の株価上昇を期待を込めて、少しずつ買い足して、議決権を行使できる1単元100株になるまで購入していった。このことが惰性で月額課金することの要因にもなる。スクエニの株は、配当が出る。中間配当を含めると、年間あたり、100株で1万円ほどになる。
ここで、自分はレガシーアカウントである。プレイにはレガシー料金で優遇される。レガシー料金は、月額980円である(追加のリテイナー等は除く)。そうすると、配当をもらいながらレガシー料金でプレイすることは、実質ただでゲームができる計算になる。このことが、惰性でゲームを続ける原因なのだが、当時は、漆黒編のメインストーリーに加え、高難易度コンテンツも面白かったので、とても楽しくプレイできた。ほとんどタダでプレイできていたようなものなので、とてもコスパのいい趣味だった(しかも、株価上昇の期待を含んでいるので、当然下落リスクはあるものの、ゲームは楽しいわ、お金は儲かる見込みはあるわ、充実した期間ではあった。ちなみに株はすべて手放した。結構儲かった)。
そうこうしているうちに、暁月編が始まった。前半の帝国編が拙速のように感じられたが、それを吹き飛ばす勢いで、メインストーリーは進んでいき、一応の完結を見たときには、喪失感のようなものと充実感を覚え、複雑なものではあったが、決して悪いものではなかった。
今でも、いろんなキャラのセリフはよく覚えているし、もう一度プレイしたい、とまでは思わないが、人の配信でストーリーを追体験しては、懐かしくなった。
ただ、6.0の最期のシーンだっただろうか、暁が解散するというシーンで、解散は表向きだ、というのがあった。これには疑問がついた。今後、暁のメンバーを都合よく動かすには、暁という共通点を残しておきたい感が見えていて、ここで暁は完全にばらせばいいのに、と思った。案の定、黄金編では、都合よく、それも雑に暁のメンバーが使われていた。
そして、暁月編が終わり、ゼロを中心とするストーリー(ゼロ編と呼ぶ)が始まった。その頃だろうか、Y氏は、「黄金編はヒカセンの夏休み」みたいな旨の言及があった。これを聞いて、「ん?」となった。ゼロ編は、明らかに夏休みなんていう雰囲気ではない。仮に、夏休みなるものが真実だとすれば、どうみてもゼロ編は、黄金編までのその場しのぎの場つなぎ程度のストーリーでしかない。ここで、だいぶ冷めてしまった。現に、黄金編は、夏休みでも何でもなかったのだが。
ゼロは好きだったが、ゼロ編は、つまらなかった。雑にFF4を使われたのも気に食わなかった。思えば、雑に過去作を悪用するのは、今に始まったことではなかった。「FF14はFFシリーズのテーマパークである」ことを盾に、過去作を弄んでいた。黄金編でのFF9の使われ方に対する批判を見るに、ゼロ編がその始まりだったのだろう。悲しいね。
黄金編に対する不満
そして、黄金編である。冒頭で述べた通り、王位継承戦あたりで、投げた。続きのストーリーは、ゲーム配信やネット上の記述で概ね把握した。大体において、不満点は他のnote等で言及されている通りだ。どれもその通りで、ウクラマトがアホ過ぎるとか、暁のメンバーまでアホ過ぎるとか、話の展開がご都合主義だとか、「では気にしません」の繰り返しがつまらなすぎるとか、ヴァルガリマンダを開放しておきながら何のお咎めもないとか、改めていちいち指摘して分析的に書いていくのもめんどくさい。ただ、その中でも特に腑に落ちた記事があった。
マリンパンさんの、「黄金のレガシーは欧米的な多様性の正しさで血の繋がった家族を否定する話だった」と題する記事である。
これはとても自分に刺さった。昨今のポリコレ的なものを重視する風潮と黄金編のつまらなさの関係をとてもよく説明されていた。
黄金編のグロさについて納得がいくものだった。
なぜ黄金編がこんなにもチープなのか、明快に説明されていた。
不勉強で恐縮だが、ポリコレなるものが理解できてはいないのだが、それでも納得できた。
マリンパンさんの分析から黄金編を見ると、本当にグロい。
一部引用します。
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黄金のレガシーとは
欧米的な正しさを説き、また血というものを否定する話だった。
多様な民族があわさったトライヨラは、エオルゼアと違い誰かが虐げられることも争いもなく平和でみんなが笑顔になれるんですという正しさ。
血の繋がらない家族こそ「真の家族」とする正しさ。
血を重んじる信仰は古臭いと断罪する正しさ。
血の繋がった家族との繋がりを笑顔で断ち切る正しさ。
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これを読んで、僕は黄金編は受け入れられないと思い直したのと同時に、やはりFF14のプレイは継続することはできないとの思いを新たにした。
自分が期待したストーリーとはあまりにもかけ離れすぎている。ついていけない。
「FF14は暁月でやめておけばいい」とのフレーズは間違ってない。
他にも言いたいことはあるが、また思いついたら追記しようと思う。
僕が他の記事でも書いたように、暁月編での予約特典であるメネフィナイヤリングの販売とか、韓国メディアでのインタビューに関する「今回の拡張パックの規模が小さいと思われることは想定していた」云々であったり、色々あるが、とにかく僕の冒険は終わった。
終わりに
僕の冒険は終わった。毎拡張版ごとに期待に胸を躍らせていたあのわくわくは、もう感じることはできないのだろう。
ここまで書いてて、でも、黄金編の冒険録を無料で配布してくれたりしたら、復帰を考えてやらんでもない。まあ、メネフィナイヤリング売るような会社には期待できないか。。。
Q&Aのコーナー
Q.嫌ならやめろ 黙ってやめろ
A. 辞めました 黙るかどうかはこっちの勝手
つーか人にもの頼むときは、まずはゼニやでニーチャン
タダで人を動かせると思うなよ
ついでに、辞めていく人が増えれば増えるほど、
FF14の運営に支障がでるけど、そこまでは考えられないかー
オマケ ええんやで騎士団の正体
正体、というほどのものではないけれど、おそらく彼ら彼女らは、まだ魔法が解けてない筋金入りのFF14ファンか、グラやメインストーリーはどうでもよくて、ただ高難度をクリアできさえすればよい生粋のゲーマーなのだと思う。
引き続き、FF14をお楽しみください。幸せそうで、うらやましいですわ。