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野村康生をめぐる対談1/野村康生×高井勇輝「アーティストとコレクターについて」

本企画は、SandSが参画しているアーティスト野村康生氏のサポートプロジェクトであり、ユナイテッドのメンバーであるSandSの第一弾企画として、収録した対談を記事にしたものです。企画コンセプトは次のnoteで詳述しますので、まずは本記事をご覧いただければ幸いです。

対談概要

収録日時:2021年8月24日
参加者:野村康生、高井勇輝、林直樹(ファシリテーター)

野村 康生
アーティスト。1979年島根県益田市生まれ。2004年武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業。2017年に「Dimensionism」を掲げ、高次元を対象とした人類の新たな概念獲得と宇宙への進出を目指し、ニューヨークのブルックリンを拠点に活動中。http://yasuonomura.com/
高井 勇輝
SandSメンバーで、クリエイティブディレクター/プロジェクトマネージャー。野村康生作品を中心としたアートコレクターでもある。
林 直樹
SandSメンバーで、トレンドアナリスト/デザインストラテジスト。本企画のファシリテーターを務める。

ーそもそもの出会いは?

高井:一番最初に出会ったのは2015年の3331 Art Fairで作品を購入させてもらったときでしたね。
3331 Art Fairの立ち上げに関わっていたisland JAPANの伊藤さんとのつながりで、僕も初回からプライズセレクター(作品購入で作家に賞を授与する役割)として関わっていて。

野村:僕も伊藤さんとは古い知り合いで、運命的な出会いでしたね。
ちょうど北斎シリーズに着手した頃で、過去の作品と新作との間で次の個展のタイミングが決まっていたから、その間の試作品みたいな感じで小作品で構成していたんですが、3331 Art Fair 2015に出展していた『Topological Landscape』という作品にプライズを出していただきました。

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まだ駆け出しの頃だったので、自分の作品が誰かに買ってもらえる体験自体が初めてで、作品を持っていただくとか、コレクター・プライズという賞をいただくことで、ずいぶん背中を押してもらった気がします。


ーそもそもアートを購入するようになったきっかけは?

高井:元々学生の頃からアートには興味があったし、アーティストを応援したり、ちゃんとアートが続いていくためには、もっとアートが買われないといけないっていう課題意識を持っていたんだけど、実際は長いこと「アートを買う」っていう行為に踏み切れなくて。

初めてアートを買ったのは2011年の年始。森美術館に小谷元彦展を観に行った帰りに、ミュージアムショップでウィスット・ポンニミット(タムくん)の『I hear your heart beat』ってリトグラフを買いました。

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タムくんのことはすごくアーティストとして見ているわけではなかったんだけど、年の始めの買い物に相応しいし、初めてアートを買うなら今だなって。
でも、「買うぞ」って決心はしてたけど、やっぱりすごく悩んだんです。シャツとか靴とかは1万円でもそれほど悩まずに買えるのに、なんでだろうって。でも意を決して買った時の「普通に買えちゃうんだ」っていうあっけなさも今も印象に残っている。それも含めて服や他のものを買う体験とはちょっと違うなと思った。


ー作品を所有することってどういうこと?

高井:その初めて買ったときに感じたのは、この支払った金額のうち幾らかはアーティストのもとに届いて、それが食費とか次の作品の絵の具とかになるんだな、っていうつながった感というか手触り感。

それと、初めて買った作品はリトグラフだからエディションものではあるけど、やっぱりノンファンジブルっていうのも大事で。今は僕の手にあるけど、唯一のものだからちゃんと引き継いでいかなきゃいけないというか、ある意味アーティストから預かっているような使命感を感じた。その感覚や体験は実際にお金を払ってアートを買うことでしか感じられないと思う。

あと、自由って一言で言っても色々あると思うけど、完全な自由って意外と不自由だったりするじゃない?だから実は能動的に複数の選択肢が持てることが大事だと思っていて。現代アートは既成概念や固定観点をひっくり返して、オルタナティブなものの見方を与えてくれるっていう意味で、アートはこの世界に「自由」を担保する、とても重要なものだと思うんです。
そんな重要なアートとそれを生み出すアーティストがサステナブルに、今のところ資本主義のルールで動いているこの世界に存在し続けるためには、きちんと対価が巡る、つまり作品が買われることが重要だから、作品を買うことでそれに微力ながらコミットしている感覚かな。


ー話を元に戻して、野村さんの作品はどういうものだったか?

高井:作品を見たときに、まず格好いいな、綺麗だな、と思った。惹きつけられるクオリティがあることはやっぱり大事だよね。
それで在廊していた野村さんに「どんな作品なんですか」って声をかけて。

僕の購入した『Topological Landscape』は、葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』から構造だけを抽出して、雪山という別のランドスケープを描いた作品。
つまり「美の骨格」とでも言うような、世界を形作る美しさの構成法則を使って別のものを作り出し、ダ・ヴィンチ以降別のものになってしまった、数学的なものと美学的なものを再発明、再定義、再統合するという試みなわけで、そのスケールの大きさにぐっときた。

野村:僕は当時、現代アートにシフトして作品を発表し始めたところで。
ベテランの多いプライズセレクターの中に一人若い方がいて、それが高井さんだった。つい「あなたもコレクターですか?若いのに」って聞いてしまったのを覚えてます。
その時は今みたいに一緒に何かをやることになるとは想像もしなかったですね。


ー野村さんにとってこの作品に至る道筋とは?

野村:現代アートって「現代」って名前は付いているけど、デュシャン以降100年以上全然ルールが変わっていなくて。この頃は、現代アートのオルタナティブたり得るものを作ろうと考えていました。

今は“Dimensionism”というコンセプトを掲げて、人類知覚にアップデートをもたらすことを目指しているけど、この『Topological Landscape』は、歴史的に分かれてしまっていた科学と芸術を再統合するつもりで制作しました。やはり数学はノンバーバルだし、世界共通。絶対的な美しさに対して、アートからだけのアプローチではなく、数学や科学のアプローチを導入することで、日本だけでなく、全世界のアートに対して強度のあるコンセプトになると考えていて。

大学を卒業してから10年くらい自分の方向が定まらない時期があったんだけど、東日本大震災をきっかけに、色々自分の中で選択しないといけないことがあって、現代アートに軸足を置こうと決めたんです。世界の見方を転換できるようなコンセプトをやろうと。その時、科学と芸術の統合だったり、思想や哲学、歴史を統合した考え方ができつつあって、その時に改めて現代アートが世界の転換させるスイッチにたどり着く最短ルートだなって認識したんです。

デビューした頃は、無名の新人で、作品のコンセプトも追いついていなかった中、系譜や文脈みたいなものを模索していたらダ・ヴィンチと北斎が出てきて、「西洋東洋問わず彼らは当時、数学的な視点を持って作品を作っているな」と思って。彼らの思想を受け継ぎつつ、現代の科学や数学を用いれば、当時の彼ら以上のアップデートを提示できるし、そういう系譜に乗ることで、その先にある自分のコンセプトを提示できるんじゃないかという戦略的な意識がありました。


ーコレクターになる前となった後で、現代アートへの関心って変化があった?

高井:現代アートへの関心は今ももちろん続いているけど、変化もしていると思う。実際、今も別に自分のことをいわゆる「コレクター」だとは思っていないけど、昔の方がもっとシンプルにファンとして観ていたかも。

コレクターの多くは鑑賞者から始まって、あるタイミングでコレクターになると思うんだけど、買いたいと思うきっかけはそれぞれ。
ここ数年の流行だと、富裕層が知的に楽しめて、所有欲を満たしながら値上がりも期待できるって面でアート投資とかも増えているけど、そこは本質じゃないなと思っていて。駆け出しの新人の作品を毎週何件も回って見定めて買う、みたいな純粋なプライマリーコレクターだけが正しいわけじゃないけど、投機目的だけじゃないコレクターがもっと増えたらいいなという思いはある。

野村:中にはコレクターと距離を取りたい作家もいるけど、高井さんには活動を継続的に見てコレクションしていただいていて、そこは作家として結構ポイントとなると思っていて。

高井:でも僕もそういう追いかけ方をしているのは野村さんだけですね。

野村:他のアーティストに浮気しちゃダメですよ(笑)!

高井:2015年に初めて出会ったときから、この先の活躍をコレクターとして並走して見ていきたいなって思ったんです。野村さんに操を立てるってわけじゃないですが、そもそも現代アートに限らず、テイストや思想も含めて「これだ!」って思えるアーティストなんてそうそういないですから。

野村:一点張りなんだね。客観的な作家像って自分自身では定義しづらいけど、こうコレクター目線から改めて聞くと面白い関係性ですね。

高井:自分の精神年齢によって趣味嗜好は変わっていくだろうけど、野村さんは個人的にど真ん中だと感じたんですよね。コンセプトや思想に共感もするけど、さらにその想像を超える可能性というか、美術史的にも意味がある存在、デュシャンの次のターニングポイントになり得るなと。これを見過ごしてはいけないと、勝手に「ノブレス・オブリージュ」的な使命を感じました(笑)。


ーこのアーティストが良い、っていうのは自分の価値観があるからこそ?

高井:ピカソゴッホを「良い」と思うのは、自分の価値観というよりは、教育によって作られている側面が大きいですよね。

野村:純粋な若手アーティストを追っかける人たちは、将来「ピカソになるかもしれない」最初の可能性を見付けることに興味を持っているわけだけど、やっぱりアーティストとかコンセプトを評価するのは難しい。特にアートのコンテクスト理解がなければ、余計何もないところから判断しないといけない。

高井:なので、良い悪いの判断というよりは、決意に近いんだと思います。アーティストや作品に対峙したときに「良い」と感じた自分の美意識や価値観を信じる意思の問題。


ーアートマネジメントとマーケティングはどう関係している?

高井:アーティストのPRやマネジメントはギャラリーがその役割を担っていることが多いと思うけど、実際はなかなか十分なリソースを割けられていないんじゃないかな。今は自らSNSで発信することもできるし、アーティスト自身がセルフプロデュースすることもより求められてきていると思う。

野村:ミュージシャンとか他のジャンルだとマネージャーやプロデューサーがいたりするし、アーティストもチームとして活動している人もいますね。

高井:今回の企画の“ユナイテッド”っていう考え方もチームとしてのアーティストの在り方に近いんですよね。欧米だとコレクター、キュレーター、美術館、アーティストが形作る「内輪」の中で価値を拡大生産していくシステムができているけど、その場合、やはり投資的な考え方が中心にならざるを得ないし、突き詰めるとパワーゲームになってしまう側面もある。日本ではまだアーティスト個人がプロのマネージャーを雇ったり、会社化するケースもそれほど多くないけど、既存とは異なる価値創造システムの在り方を考えたときに、“ユナイテッド”っていう可能性を提案してみました。この対談企画も、これを読んでくれた人がユナイテッドとして自分も仲間に入りたいと思ってくれたらいいなと。

野村:日本のアート界はガラパゴスなので、特定のアート文脈に繋がらないと世界に出ていけない。当時北斎を集中してやっていたのは、そういう意味では戦略的な意識もあって。

これまではどちらかというとアーティストって突然発見されることが多くて、戦略的な意識がない純粋な「表現者」が持て囃されていたけど、村上隆さん以降アートのフェーズは変わったと思っています。賛否両論はあるけど、村上さんが変えた、と言えるかもしれない。彼は「世界に200人同時に戦略的な現代アーティストが出ていければ世界のルールが変えられる」と言っていて。そういう意味では、コレクターがアーティストの活動に関わるのは珍しいけど、Art Thinkingみたいなものも出てきているし、アートの扱われ方もアートの作られ方も変わってきているので、チームやユナイテッドの考え方は可能性のある面白い試みですよね。


ーアートにおける戦略性とは?

野村:アートシーンでは、美術文脈とマネタイズの両方で戦略性が必要。もちろん存命中に評価されるためにはマネタイズも重要だけど、アートシーンのエコシステムの中で居場所が出てくることがあるから、マネタイズより先に美術のコンテクスト接続が大事だと思います。

僕の場合は元々宗教に興味があって。それは、サイエンスとアートという領域が分かれる前から、宗教は芸術の成り立ち、社会の基盤となっているから。今日の西洋主義的な考え方も当然キリスト教が根底にあるように、ベースにあるものの見方には宗教の長い歴史があるんですよね。自分のアートの中にも宗教に関するリサーチも多いけど、やはりとてもセンシティブだし、特に今は危ういなという意識もあって、まずは科学とか数学とか参照できるものが多いものに取り組むようになりました。とはいえ、黄金比はもちろんのこと、ダ・ヴィンチの時代だと神聖比例論ウィトルウィウスのプロポーションに基づいて教会を作ったり、宗教建築も数学に依拠していることが多いし、現代よりも比率がもっと神秘主義的な意味を持っていたという点は、数学も元を辿れば同じところに行き着くだろうと。


ー今後のアーティストとコレクターの関係性

高井:そもそも「コレクター」だと作品収集が主眼に見えてしまって、自分で名乗るのに抵抗があるので、コレクターっていう呼称を再定義したいなとずっと考えていました。

そもそも現代アートって価値が確定していないものだから、作品の価値を認めてお金を出す人がいて初めて価値が生まれる。つまり買う人はアーティストと両輪を成すくらい価値を創造する者だと捉えれば「Value Creator(バリュー・クリエイター)」とも言えるし、価値を証明する者と捉えれば「Value Prover(バリュー・プルーバー)」や「Value Validator(バリュー・ヴァリデーター)」とも言える。特にプライマリーの作家に対しては、価値を見出す者「Value Finder(バリュー・ファインダー)」と言えるかもしれないし、価値を継承する、未来につなぐ者だと捉えれば「Value Inheritor(バリュー・インへリター)」とも言える。アーティストに対してパトロンでもなく、フックアップしてやるでもなく、対等な関係としてその企みの「共犯者」のような存在でいたいですね。

野村:パトロンが大きく関わっていたアート業界と、ファンモデルで成り立っている他の業界の違いはありますよね。パトロンは共犯者とは違うけど、音楽の世界だとプロデューサーなどは共犯者グループだろうし。そういう意味では今の普通のビジネスシーンのほとんどは共犯者と言えるかもしれない。

高井:構造的にはギャラリーがプロデューサー的な役割を担っていかないといけないんだろうけど、リソースがないことも分かるので、ユナイテッドの取り組みを通して「共犯者」が増えていくと面白くできそうですね。

野村:世界でもメガギャラリーが一人勝ち状態なのでギャラリーも二極化していて、そうなると出てくるアートも似てきてしまう。そういう意味でも、これまでのセオリーに囚われない戦い方が必要だと思います。実際、今はいろんなスタイルで戦える時代になってきているし。

高井:発信できるメディアやチャネルも増えてきたし、実際ここ数年でアートの影響力はかなりアーティスト側に寄ってきた感じがしますね。

野村:その分キャラを立てていかないといけないですけどね。もちろん少数のパトロンで同じようなステージにいければそれはそれでいいけど、何か大きなことを仕掛けたり、社会現象を起こすためには、1万人のファンがTシャツを着てくれた方がいいかもしれない。Tシャツはアートではないけど、対価と評価が広まるという点では、そういうシステムの使い方もありだと思う。


ーアートコレクティブを超えた、共犯関係とは?

高井:野村さんも元々「Dimensionista」という共犯者モデルでムーブメントを起こしていこうと考えていましたよね。

野村:そう。南総里見八犬伝とかドラゴンボールとかと同じで、それぞれ違うスキルを持った仲間が集まってくることで、何かが起きるというのが好きで(笑)。

高井:RPGで言えば、野村さんが勇者でパーティの一員になる、みたいな感覚ですね。

野村:でも、勇者=アーティストが不在でも自走することが重要だと思っていて。歴史を振り返っても、「もの派」とか「印象派」のようなムーブメントは当事者が名付けたものではなく、後から名付けられたり、外から括られたりしてできたことが多い。つまり、イズムになるものは影響を受けた誰かが新しい潮流を起こしていった結果生まれたもので、本当にムーブメントを起こそうと思ったら、フォロワーはフォロワーで何か新しい違うことを始めていかないと広がらない。そういう意味では、アノニマスな集団というか、入れ子構造や円環的に進んでいく、もっと自然の原理に近い形がいいのかもしれないですね。

20世紀は天才、つまり一人の個の力で突破するんだけど、今はそういう感じではないし、演出されすぎてしまうと、炎上した時のダウンサイドが大きい。teamLabRhizomatiksが転換点になったように、正しくチームを作っていくのが21世紀型の芸術論なのかも。

高井:teamLabはチーム構造やファクトリーモデルでありながらも猪子さんの存在が大きいですよね。あとは、Chim↑Pom from Smappa!Groupのようなアーティストコレクティブ的な在り方もあります。

野村:僕自身アーティストコレクティブで活動していた時代もあったけど、コレクティブはアーティストという同職種の集まりなので、ムーブメント的な広がりにはなりづらいのかもしれない。

teamLabはアート界に外から風穴を開けたことは興味深いですよね。アートシーンがteamLabに影響を受けた面もあるし、チームモデルはファンを巻き込む体験型アートの在り方に合ってますよね。


ー最後に。

野村:とは言え、やっぱり最後はアートになってないとダメなんですよね。最終的にアートの世界でアウトプットしていかないと、基準にならない。時代のタイミングとしてムーブメントがあったとしても、世俗にどっぷり浸かってしまうのはダメで、どこかで隔絶されていることも重要かと。お世話になっている美術批評家の方と話して気付いたことは、世俗と離れているからこそ問える問題もあるということ。

高井:アートの魅力のひとつはオルタナティブなものの見方なので、現実や世俗とは異なる視座の高さや、それによって生じる神聖性は大事ですよね。
だからただ単純にマスマーケティングのファンモデルを流用してもダメで、大前提としてアーティストがまず最初に既成概念や固定観点の境界を問うような強いコンセプトを立てられることが重要。それがないままファンモデルの構造だけが先行してしまうと、アートのフォーマットを利用しているだけと化けの皮が剥がれてしまう。

新たなムーブメントを起こすには、提示する新しい観念が他のジャンルにも影響を及ぼし、そこに向かっていく人が増えることが必要で。
発信する側だけじゃなくて受け取り手の資質にも左右されてしまうという意味ではアートの見方を教えられない教育の課題もあるけど、語る言葉がなくても何かすごいことが起こっている、誰も体験したこともないことが起こっているんだっていう事件性というか、最後は価値観を揺さぶられるようなアートとしての意思と企みこそがやっぱり一番大事ですね。


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