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「ポップ」を分かりたい。「ポップ」を分かったつもりになる。

「ヒップホップは歌えない俺はリアルじゃないからさ」は、ド~ルチェア~ンド~でお馴染みの瑛人の曲の一節である。ヒップホップといえば、劣悪な生活環境からスターダムに這い上がろうとする野望と欲望みなぎる感じがメインストリームだが、そんなでもない自分はヒップホップを歌っても噓っぽいよね、歌っちゃだめよね、ということを綴ったのだろう(推測なので違うかもしれない)。だけど、それでもピュアにヒップホップと向き合う歌詞とメロディがなんだか良い。一生懸命にやってることは刺さるのです。

この記事のテーマは「ポップ」だが、私(SandS佐々木)は、広告やエンタメなどのポップな領域とは、近からず遠からずの領域のお仕事をしている。新しい事業やサービスの構想や戦略を考えることをメインとしているが、それは世の中に出ないことが多い。なん百枚もの資料を作っても、それは世の中には出ないことが多い。構想の後は開発などがスタートし、その後くらいから、PRやプロモーション=最もポップな部分が考えられ、世の中に届けられる。この間、長い月日が経ちます。つまり、自分の仕事のアウトプットを通して、直接的に社会の多くの人の共感を実感するのは、なかなかないのが実情です。
興味のある領域だけど、それはそれで専門としている人が多く激戦区。なかなか携わることがないし、その筋のプロたちに任せた方が良いと思っている。手が出せないでいる。でも、ほんとにそうなのか?いや、自分はまだそれにちゃんと向き合って来ていないんじゃないか?そう思いました。一度、一生懸命「ポップ」というものに向き合って、自分なりの理解と実践を試みたいと思ったのです。リアルじゃなくてもいいじゃないか。

ポップっちゅーもんは

いくつかの辞書を見てみると、

  • 大衆向きであるさま。また、時代に合って洒落ているさま

  • 美術やファッションなどで、軽くて都会的なさま。また、大衆向けで商業性のあるさま

  • 現代的なスタイルを指し、軽い、気取らない、ごちゃ混ぜ感覚などを意味する

  • 流行歌や広く親しまれている歌や音楽のこと

などが書かれている。関連するワードに、ポップアートやポップカルチャー、ポップスなどがある。なにも考えずに見れて小難しくない「大衆性」と、その時々で風向きが変わる「時代性」と、より生活者の買いに近い「商業性」が掛け合わさって、世の中に広く爆発的に広がり認知されるんだな(SandSの活動はこの3要素とは真逆のことをやっていることに気付きました。強いて言えば、時代性は捉えているか?捉えていたい)。CMなど見るとそれが良く分かる。お茶の間に人気があり、好感度の高いタレントを企業が起用して、商品を広く世に告げるのだ=広告。インターネットで世界がフラットになり、個々の価値観も多様化する中で、ひと昔前のようなマスコミュニケーションの効果が薄くなっているのは間違いないが、時代の切り取り方やクリエイティビティ、表現のクオリティやトレンド自体を作ってしまう行為など、学ぶべく部分はたくさんある気がする。

ポップの解像度アップ

少し調べてみると、大衆というのは、自ら思考するのを放棄した意思や個性がない集団っぽいことが分かってきた。納得できる。大衆居酒屋はまさにそれを体現したネーミングとコンテンツだ。仕事で疲れて、終わった後はなにも考えたくないし、家ではバラエティ番組を見てなにも考えず笑いたい。人はそんなに考えたくない生き物だし、考えすぎると精神を病むリスクもある。なにも考えさせないおバカなコンテンツの意味が大いにあるということか。テレビのワイドショーに共感する大衆もいるし、ネット上でも大衆は存在する。キャンセルカルチャーの文脈で、真相を知らない匿名の集団が正義を振りかざし、誰か特定な人を攻撃する。あれ誰が言ってるんだろう。まさに周りが言ってるから同じように言っちゃう、という自らの思考を放棄した行為にもみえる。とはいえ、昔と違うのは、大衆のサイズが小さく細分化してること。昭和や平成初期の画一的なコンテンツに大衆が魅了されたていた時代のものは、息が長く継続性があるのに対して、今はコンテンツ量も莫大なため、次から次へと色々なコンテンツに大衆が飛び移り、しかも色んな種類や大きさの大衆なので、忘れ去られるのも早く、打ち上げ花火的で、継続性がないのだ。

時代性に関しても、同じようなことが言える。とにかく時代が変わるスピードが早すぎるし、複雑すぎて、情報を追いきれない。なので、それぞれが信頼する人やコンテンツを土台に情報摂取するしかない。これがフィルターバブルとか言われてて、分断に繋がりかねない、という。
うーん、少し昔の話を掘り出してみよう。70年代の伝説的なパンク・ロックバンドであるセックス・ピストルズは、マルコム・マクラーレンという人の功名なプロデュースによって作られたバンドらしい(バンドメンバーも音楽経験はなかったらしい)。当時のイギリスの経済不安や景気低迷、混沌とした社会において、王室、政治、大企業に怒り、でもどうしたらよいか分からない若者たちの声を集結したようなストレートな歌詞とメロディ、そしてファッションが突き刺さった。
この時代なら、なんとなく大きなウネりみたいなのは読み取りやすい気がするが、今はそうもなかなかいかない。コレみんな好きでしょ的に迎合しすぎると叩かれる。間違ってもやっちゃいけないパターン。世に漂っている時代感みたいのは今もあるけど、それは多様で絶妙なニュアンスで入り組んでいて、掴み取るのは至難の業である。流行は変わりがちだから、飛び付くだけじゃなく、その現象を起こしている人あるいはその受け手たちの、心のずっと奥の方を見なきゃいけない。

これからのポップを考えたら、ポップじゃなかった

どうにか、時代に左右されず、ゆっくりと世に長く染み渡り語り継がれるものを作れないだろうか。そう考えていると、この前観た「インサイドヘッド2」を思い出した。高校入学を控えた思春期の女子の複雑な感情を描いたピクサー制作の映画である。思春期という中学生以上ならほぼ誰にでも分かるテーマと、小学生でも楽しくて美しい最新の3Dアニメーション。大衆性と時代性の極みである。これに感情というものをキャラ化/可視化し、現実世界と並行して感情のみでストーリー展開していく発明的とも言える狂気性のあるアイデア。これらが、アニメ映画歴代興行収入1位に繋がっているのか=商業性。つまり、商業性は結果なのだな。
Netflixで話題の「地面師たち」もポップだよな。詐欺というみんなが知ってるけどどんなもんか興味がある。そして、時代を彩る豪華俳優陣。そしてその演技やストーリーの狂気性。結果、大ヒット。

詐欺への興味や思春期のような人間の普遍的なテーマ=大衆性と、最新トレンドや人気である時代性と、なんだか見たことがない狂気性があることがポップになりえる基礎要素で、ここに商業的にも成功したものがポップ中のポップということか。
なんかありきたりな結論になってしまってる気がするが、向き合うことが重要だ。でも、もう少し別の方向性はないだろうか。やはり、時代性が厄介だ。たぶん時代の全体的な潮流みたいなのは掴もうとしちゃいけないのではないか?だって変化と種類がありすぎるから。それよりも、自らの興味軸と好奇心に正直になって、その事のずっと奥の方まで堀りに掘ってみる方がいいかもしれない。新しいポップの方程式は、大衆性×興味性×狂気性×商業性=ポップ、だな。
結局、一生懸命に自分の好きなことをやっていたり、チームが協力して一つの目標に向かっている姿=人間の営みに心打たれるんだよな。実はこれが今の時代性かもしれない。こんな事をぐるぐると考えていること自体、ポップじゃないことに気付いてしまったが、自分の仕事や生活にポップを組み込んでみようじゃないか。

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