思索的に観光的に新たな可能性を模索する
はじめまして。SandSの浅見です。
SandSという、人々の日常の営みから、新たな可能性をデザインすることを目的としたチームを立ち上げたので、少し僕たちの視点を書いてみたいと思う。
人々の日常の営みから、新たな可能性をデザインするとは、複数の視点で観察し、違和感を見つけるところから始まる。
複数の視点というのがポイントで、観察する対象が同じであっても、人によって見えている世界や、感じることが微妙に違うため、事象を多角的に捉えることが出来る。そういった、観察から得られた違和感と向き合い、出された意見を統合したり昇華することで、新たなプロジェクトに繋がるヒントが得られる。
観察以外にも気づきを得るための様々なフレームワークが存在するが、フレームワークはあくまで作法的なガイドであって、答えを出してくれる魔法の杖ではない。重要なのはフレームワークではなく、可能な限りバイアスを壊すこと。そのためには一人ではなく複数人で実施することが必須だが、その複数人は自分の意見が一番正しいと主張し合うのではなく、異なる意見が出たとしてもアウフヘーベンを目指せるような、尊重し合える関係性が重要なポイントだったりする。
ちなみに「ビハインド・ザ・カーブ」というドキュメンタリー映像をご存じだろうか。(ネタバレ含みますので要注意で!)
ここで登場するコミュニティは「地球は球体ではなく平面である」という説を唱えている。映画、トゥルーマン・ショーのセットの地球規模バージョンだと考えるとイメージしやすいかもしれない。彼らは地球が球体というのは陰謀だと考えていて、科学者が地球が平面であることを認めないのは、科学者本人が培ってきた地位や名誉や職など全て失うからだと主張している。ここまで聞くと、トンデモ集団な気がするが、彼らは純粋に平面だと信じ込んでいるだけだったりする。なので、自分たちで地球が平面であることを実証するための実験を行っている。そして、平面であることを実証しようとしたら、球体である結果が出てしまう。しかし、自分たちにとって都合の悪い結果は認めようとせず、平面説を正当化するのに都合が良い結果を追い求め続ける。
この様な事は、地球平面説を唱える彼らだけに起こっていることではなく、比較的身近に起こっているのでは?と思うのは僕だけではないはず。
例えば、新規サービスやプロダクトを作っている際に、リサーチや予測に対して都合が悪い結果が出ても、見なかったことにして強引に事業化するが上手くいかない。そして誰もその事実を認めようとしない。なんてことはよく耳にする。
この様な状態になってしまうと、対立が生まれたり他者の話が耳に入らなくなってしまうが、映像の後半では、平面説を唱える彼らだって真実を求める姿勢は科学者と同じくらいの熱量はあるわけで、彼らをクレイジーやバカと片付けて対立を生むのではなく、一緒に探求しようとするべきだ!と一人の科学者が他の科学者たちに対して問いかけるシーンが印象的だった。
改めて、バイアスは一つの視点からでは壊せない。
そして、複数の視点が重なる際に、お互いの主張を認めて尊重し合える関係でないと前に進まなかったりする。
地球は球体なのか平面なのか、それはそれで大事だけど、球体派と平面派が肩を組んで、あの仮説と検証方法斬新だったね!とか言いながら、両方の視点を掛け合わせることで、地球に対する新しい探求が始まると、今まで以上に良い研究結果が出るのでは?と勝手に思ったりする。
ということで、僕たちは一つの事象に対して、複数の視点で世界を想像し、その世界に深く潜ることで、新しい価値観やアイデアを見つけていきたいと思っています。
みなさま、SandSを、どうぞよろしくお願いします!