旅が終わり、心の地図を広げる
夫の学会に便乗して、ポルトガルに行くチャンスがあり、先週戻ってきました。10日間の旅行でしたが、始めの5日間が学会だったため、私は
リズボンで単独で観光を楽しみ、その後は2人でポルトとシントラを訪れました。
実は、出発10日前に、日本の一時帰国から帰米したばかりだった私でしたが、久々のヨーロッパということで、時差ボケに浸りながらもリズボンの様子をSNSの投稿を見ては、大体の見どころを抑え、後はその日の流れに任せようと決めていました。
私たちの滞在ホテルは、リズボン大学にほど近く、賑やかな中心街からは少し離れていましたが、交通の便はとても良く、私が1人でバスや地下鉄を使い行きたいところには問題なくたどり着けました。が、一回だけ乗り継ぎを間違い、とんでもないところまで行ってしまいましたが、何か違うと気がつきバスを乗り換え、無事に目的のXXX修道院まで着くことができた時は、本当にホッとしました。
こういったハプニングは、ツアー旅行では味わえない醍醐味ですね。
それでも、なんとかなるもんだと思えば、どこへ行ってもそう焦らなくてもすむと思っています。でも、英語が通じるということと、Google Mapが使えるというのは、私の場合、必須条件ですが。笑
乗ってみたかった、リズボンの狭い街中を走る路面電車の28番は大人気で、始発の駅からの乗車だと2時間以上待つとのことで、それより終点の駅から始発の駅に戻るようにすると座ることができるとか、そんな裏ワザ的な情報を見つけては、実行してみました。朝一でその終点駅に向かって窓越しのせきに座り、狭い道を走る路面電車のスリル感や街並みを楽しめました。朝も夜の時間を機にすることなく、1人悠々自適に自分のペースで、リズボンの街巡りが出来たことはラッキーでした。
それにしても、この国の栄えた時代に築き上げられた建築、アートを目の当たりにする毎日で圧巻でした。
特に、天井の高い教会にみる煌びやかさと迫力は、自然との調和を重んじる日本の神道にはないものだとつくづく感じます。教会のパワーは確固たるものだと人々に示し、与えていたパワーとプレッシャーはどれほどだったものか。。。実は、私はリスボン滞在の最終日当たりには、教会に足を踏み入れられなくなってしまうほどの抑圧感を感じてしまいました。つくづく、今の時代に生きれて幸せだ、と感じましたが、もしかしたら、自分の前世でヨーロッパにいたかもしれませんから、何に私の体が反応していたかは、定かではありませんが。笑
それにしても、こういった旅行という物理的移動は、私の脳に刺激と空間を与えてくれるような気がします。非日常の、これまでに体験したことのない数々を体感するのですから、そのはずですよね。
ここサンディエゴで、自分が色々悩みあげいていることなんて、ほんの細やかなことで、今、この瞬間に、地球の裏側でなん億という人々が、全く違う価値観で生きていると思えば、なんだか、頭と心のスペースが、グンと広がっていきます。その感覚は、とても心地が良いけれど、同時に自分が知らない事が実に多くて、どんだけ私自身のちっぽけな認識の中でしか生きていないのか、と思わされます。
でも、海外旅行行かないと、自分の心の地図が広がらないというのも、それはそれでちょっと困るなとも感じていて、では、どうしたら、日常の生活で心の地図が広がるのかと考えると、それはやっぱり、好奇心を持って、気がついていくことかな、と感じるのです。
なんでも知っているというよう態度をとるような、つまならない老人にならないためにも(笑)これからは、自分で自分の気分を上げて、心の地図を広く持つようにしようと、旅を終えて思ったのでした。