私がkindleを部分的にやめた6つの理由
電子書籍は偉大だ。素晴らしい発明品であると思う。省スペースで、ポータブル。ネットがなくてもダウンロードしておけばいつでも読める。とても魅力的だが、最近いくつかの理由のため部分的に使わないことを決意した。
下記がその理由である。
その①目が疲れる
デジタルデバイスに囲まれる生活に慣れきって早くも10年は経つだろうか。スマホに切り替えてからも、もう8年は経っていると思う。
ブルーライト眼鏡を持ってしても(あれは科学的には意味がないという人もいるが、私は一定の効果を感じている)業務に趣味にと毎日モニターとにらめっこし続けるのが負担になっている。
眼精疲労で頭痛がするほどではないのだが、ブルーライトカットの意味合いで、使用時間を削減することにしたのだ。
その②スマホで乱視が悪化
その①と同じに感じるが、間違いなくスマホの利用を持って視力が悪化している。
理由は単純で、①パソコンより小さい画面を追うから②フリックで動く画面を追うから③デバイスが小さいので、デバイスそのものが動くから
テレビにパソコンに、からのスマホにタブレット………乱視の悪化を防ぐため、スマホ絶ちを決意した。
その③読んでも頭に入らない
不思議なのだが、難しければ難しいほど、電子書籍だと頭に入らない。これは誰かに研究して貰いたいほどだが、紙の書籍で読むのが100%だとすると、多分、インプットが4割くらいになってしまっている。
内容が思い出せないし、入り込めない。これは紙辞書と電子辞書でも感じることである。便利だが、インプットととしてはあまり(少なくともわたしは)使えないのだ。
面白いのが、娯楽向けの内容であれば(オタクな情報などだ)集中出来るし覚えられる。もしかしたらこれは『私自身の脳の癖』によるものかもしれないが、ともあれインプットしたくてもインプット出来ないので難しいものは図書館で借りるなりして紙を優先することにしている。
その④友達に貸せない
これは結構重要である。デバイスごと(アカウントごと)貸すことは出来るが、倫理的にもサービス規約的にも違法である。
貸すことそのものは経済的にはよろしくないが、誰しも『お試し』したいことはあるだろう。
布教出来ないのは痛い。これはとかくオタクならば分かって頂けるであろう。自分の人生に重要だと思った漫画は、電子で買ってから紙も買うようになった。保存用と布教用と思えば気楽なものである。
その⑤内容がアップデートされてしまう恐れがあるため
勿論、書籍でも初版と重版で内容が違うことはある。だが、版元本意でいくらでも内容が変えられるのは、正直信用ならない。
今の時代、なんでも仮で出してアップデートして……というのが流行している。
しかし以前に内容を問題視されて電子書籍の少女漫画雑誌から『購入したにも関わらず後から閲覧出来なくなった』ということがあった。個人的には非常に不愉快である。しかし、前向きなアップデートも勿論あるであろうから、機能そのものには文句はない。ともあれ、現物がある限りは現状維持出来るというのは、紙で書籍を持つことの重要な意義であると感じる。
その⑥『資産』というより『情報』でしかない
貸し出せないし、現物(ライセンス)を持っていても、流動的な電子書籍は、他人に売却することは不可能である。
それそのものは悪くないが、紙の書籍ならば売却したり、人に譲ったり、『モノ』としての価値もある。電子書籍は『情報』としての付加価値にお金を払っているわけで、『資産』というよりは『経験を買う』ようなものに近い。
中長期的に見て持つべき価値のある書籍は、やはり紙媒体にまだ優位性があるとわたしは考える。
なんだかんだで紙っていいよね
と、言うわけで、電子書籍から紙媒体に舞い戻ったのであった。質量があるということは、五感を使えるメリットもある。肌触りや匂いも、『紙』にしかない良さである。
どちらが優れているとか、劣っているとかでなく、どちらにも価値があって使い分けしやすい世の中になることを期待したい。
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