やたら人に道を聞かれる話
貴方は人に道を聞かれるタイプだろうか、それともそうではないタイプであろうか。人には2種類の人間がいる。道を聞くタイプと、聞かれるタイプである。
何を隠そう、この私、やたらと人に道を聞かれがちな人間である。もちろん、キャッチや街頭アンケートもよく捕まる。その頻度たるや、銀座の大通りを一人で歩こうものなら、端から端まで歩くまでに3組の迷える外国人観光客に道を尋ねられるレベルである。うち1組は完全に中国語しか話せず、英語で対応することを諦め日本語で押し通した。まあ、言語などなくとも旅行先では身振り手振りでなんとでもなるのだから問題はない。
こういった話をすると、道を聞かれても大丈夫そうな「良い人のオーラ」があるのですね、などと褒めて頂けることも多い。しかし、おそらく実際は「こいつなら話しかけても勝てる」……つまり生態系の最下位にいるように見えるから道を聞かれるのだと思う。
なぜなら、道を聞かれるエピソードに事欠かない私が、「道を聞かれないようにすべき」と言われるお作法を守ったところで、絶対に話しかけられるからである。
例えば、よくいわれる
・忙しそうに早歩きして道を歩く
・イヤホンをして携帯を弄る
・不機嫌そうな顔をする
上記は真正面から話しかけられることを想定しているが、生粋の「道聞かれマン」は、なんとイヤホンをして忙しそうに歩いていても『後ろ』からご老人にわざわざ選ばれ道を聞かれるのである。ご老人からも危害を加えなさそうと思われるのは、いいことなのか、悪い事なのか……。悪い人間を跳ね除けられる程度には、強そうに見えて欲しいものであるが、滲み出る人の良さを隠すことは難しいのかもしれない。実際、自分も話しかける人間は選り分けるので、あまり人のことは言えない。
そういえば、一人旅で一人ドイツの片田舎を旅していた時も、ドイツ国鉄の駅のホームで道を聞かれた。全く初めて降り立つホームで道もクソも知るわけがないので駅員に繋いだが、ドイツ国内はアジア人留学生が多いからか、勘違いされて車内でもよく「この電車は〇〇へ行くのか?」とドイツ語で聞かれたものである。
上野駅で人と待ち合わせしていた時は、真正面からわざわざ私を目指して歩いてきた韓国人女性に道を聞かれたが、もはや知り合いなのではないか?と思われるほどの迫力であった。
ここまでくると、話しかけられても無視すれば良いのではないかと思うかもしれないが、私にも良心くらいはあるので、助けられる分には助けて差し上げたい。最近は、もう開き直って困っている人を見かけたらどんどん声をかけることにしている。
一日一善、情けは人の為ならず。善行を積んだら巡り巡ってなにかいいことがあるだろうか。あるといいなと思いながら、今日も街を行く。
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