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正論で部下を詰めてはいけない

正論とは正しいこと、間違っていないこと、否定できないこと。
正しいことを目指すのは当然である。間違っていることを正すのは当たり前である。
なんの落ち度もない。否定のしようがない。
だからこそ正論こそが答えであると思ってしまう。

否定のしようがないことなので、人は正しいことを追求する。そして自分にだけでなく相手にも正しいことを求めてしまう。
正しいことを追求することは何も間違っていない、何も悪くない、誰も文句を言えない。
しかし、正しいことを相手に求めると不都合が生じてしまう。

正論を使って部下を指導すると、間違っていないので部下は反論できない。そもそも部下が上司に反論すること自体に障壁がある組織もある。
指導されていることは間違っていないし、社内文化でも反論しにくい。となると、部下は黙って聞くしかない。

もうひとつ、世の中のことは法を犯すこと以外は全て正しい。学校のテストと違って正解は無数にある。
最初は間違いであっても状況が変われば正解になることもある。無数の正解のどれを選択するかだけのことである。
なので、正論に対して反論することは難しい。

最後にもうひとつ、
上司が正論で部下を指導しているとき、上司はなぜだか心地よい気持ちになる。「ランナーズハイ」ではないが「説教ズハイ」になる。
なぜなら間違ったことは言ってないし、部下も反論しないので、自分の世界に入ってどんどん正論を畳み掛けてしまう。

これらの理由から、上司が部下に正論で指導すると、部下の逃げ道がなくなってしまう。その結果、組織が硬直化してしまう。
この関係性が続くと、目の前の問題は何も解決されずに上司と部下の距離が広がっていくだけである。
正論は間違ってはいないが、世の中それだけがすべてではないこと、「それを言っちゃおしまいよ」の世界であることを上司は認識しなければならない。

正論を吐くならば逃げ道をつくることと、
正論を吐いたうえで、現実に即したアドバイスをすることを忘れてはいけない。

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