ハンガーゲーム0を見た感想
私は以前飛行機の中にてハンガーゲームとその続編であるハンガーゲーム2を見た。そんな因果で先日この映画を見てきた。0とついていることから読者諸君は本作の前日譚であろうことは察していよう。ハンガーゲームのシリーズについてはあまり詳しくはない。作者も知らない。なのであくまで私がいかにこの映画を自らのうちに消化したかを書き記す。
世界観
世界観は未来のアメリカだ。国名はパネムと変わり貧富の差が極限までに開いている。この世界の特筆すべき点は貧困の者たちがキャピトルと呼ばれる新生アメリカ(パネム)の首都から追い出され、都市に富裕層しか住めなくなっている点だ。故に首都の人々は貧困者が住んでいる”地区”の実情を知らない。厳密に言えば地区の貧困者たちはレジスタンスを組織してキャピトルに抵抗しており、作中でもテロの爆破シーンがある。そのためキャピトル市民と地区の出身者は互いに反目し合っている。というのも『ハンガーゲーム0』の10年前まで内戦が続いており、富裕層であるキャピトルが貧困者の反乱軍を抑え圧政を敷くというあまりにも明快な対立構造となっている。
主人公とハンガーゲーム
映画冒頭部分で”暗黒時代”と表現されたシーンがあり、第一回ハンガーゲーム開催の三年前とも書かれていた。加えてハンガーゲームを行う意義について『戦争終結を記念し』と主人公の発言にもあったことから、ハンガーゲームとは戦勝終結の年から開催されている。今作で扱うのは第10回ハンガーゲームであり。内戦終結から10年後の世界だ。ハンガーゲームのルールは、パネムの支配する12の各”地区”より、12歳から18歳の男女のペアを選出し最後の一人となるまで殺し合わせるという悲惨なものであり、年々人々の関心から離れつつあった。
主人公であり、後にパネムの独裁者になるコリオレイナス・スノーは18歳になり、高校卒業も間近となっていた。彼の父は軍の英雄だったらしいのだが暗黒時代、まだスノーが5歳※の際に敵に待ち伏せられて殺される。こと軍隊の英雄とは一兵卒から元帥に至るまで様々な階級の人々がそれにあだ名される。故にこれだけでスノー一家が階級のどこに所属するのか予測することは困難だが、後にコリオレイナスが従軍する際にスノー将軍の息子と第12地区の司令官に呼ばれていたことから富裕層に属すると考えて問題なさそうだ。しかしそんな父親は主人公が幼少の折に他界、一家は経済面で困窮してしまう。そんな逆境の中で眉目秀麗かつ英邁なコリオレイナスは主席に与えられるプリンツ賞を狙う。プリンツ賞は多額の賞金が出る、現にコリオレイナスは大学進学の学費に加え、いかに贅沢な暮らしをするか彼の同居人である祖母と従兄弟に歓談していた。コリオレイナスはプリンツ賞受賞確実であったらしいのだが、邪魔が入る。なんと、年々低迷するハンガーゲームの視聴率を最も改善した者にプリンツ賞が授与されることに今年から規則が変更されたのだ。ハンガーゲームの出場者である24人それぞれに教育係という名目の学生が担当し、盛り上がりの欠けるゲームの改善に努めることになった。
※第10回ハンガーゲームの際彼は18歳、暗黒時代に彼の父が殺されたことがわかるシーンが第一回ハンガーゲームの3年前となっていたので5歳と推測
その後の内容
手練手管を用い様々な困難に直面しながらも冷酷に自らの担当の代表者を勝たせたコリオレイナスだった。しかし今作のヒロインである、コリオレイナスが担当する12地区の代表者に情を持ってしまったことによる反則がバレてしまう。反則の処罰として従軍させられるが、仲間の謀反の計略を密告することによってキャピトルへの帰還を果たすといった内容だ。(かなり内容を省いたし、ヒロインとの経緯は書かなかったのでぜひ本作を見てください)
感想
私はこのシリーズを最後まで見ていないのは、本作の二、三作目あたりで急激に政治的な思想を押し付けられ、その内容に全く共感できず、あまりの稚拙さゆえの不快感から視聴を断念してしまったためだ。あまりに西欧的な英雄主義が全面に押し出され、”わかりやすい”悪が存在した。主人公の価値基準の幼稚さで物事を成すことは不可能であるのに軽々と問題を解決していくトンデモ展開はついていくには忍びなかった。(個人の感想です)一作目と二作目の途中までは世界観が好きであったし、バトルシーンも見応えがありキャラクターの心理描写もよく考えられていると感じた。現に『ハンガーゲームシリーズ』の緻密な世界観や複雑な背景を持つキャラクターに惹かれていた。『ハンガーゲーム0』はその世界観がいかに作られたかの前日譚なので私の審美眼にかなう形となった。映画を見終えた直後に原作を購入するほどだ。
世界観については前述の通りアメリカの近未来だ。よく現在のアメリカをローマ時代に例える人がいるが、それに則すのであればハンガーゲーム0の世界観は帝政に移行した初期の混乱期と捉えられる。ローマ帝国の場合は成立前にカエサルの構想があり、事実上帝政と共和制の方針を巡る内戦終結後もオクタビアヌスが恐るべき忍耐力で慎重に共和政から帝政に移行していった。そのような事情から最小限の混乱で帝政に移行できた。新興国家パネム成立の場合はローマとは違った印象を受ける。大統領制は相変わらず健在であるのだが、キャピトルとそれ以外という階層に国家が二分されている。例えるのであれば古代ギリシャの都市国家の様相だ。数では勝る12地区の人々を奴隷同然に扱うことからもスパルタを彷彿とさせる。このことからもなし崩し的にパネムが勝利したのは良いものの、統治する能力が十分にある指導者が現れずゆくゆくは再び崩壊し内戦の時代が訪れる運命にある国家に対する警告としてのハンガーゲームをコリオレイナスは提案したのだ。実際にこの後彼は大統領に就任し独裁制を強めていることからも彼の知能の高さに加え、成すべき事を成す使命感も窺える。
『ハンガーゲーム0』の約60年後に当たる『ハンガーゲーム』の世界観は明らかに技術力が進歩している。『ハンガーゲーム0』の場合は内戦で技術力は現代のアメリカ以下に落ち込んでしまっている。壮大な建物が立ち並ぶためにわかりずらいのだが明らかにブラウン管のテレビを病院が採用していたりと、所々文明の衰退を感じさせた。対して60年後のハンガーゲームの文明は絶頂期に達している。彼は平和な一時代を築いたのだ。
闘技場でローマ人たちは剣闘士に殺し合いをさせた。この試合には市民に娯楽を提供するという他に戦いに慣れさせるという意義があった。ハンガーゲーム0の主人公ことコリオレーナスはキャピトルの人々が戦いを忘れることの危険性に最後に気付き、ハンガーゲームをより人々に注目させるよう仕向けていくことを暗示するラストであった。それまでの経緯は実際に映画を見て欲しいのであるが、幕引きとしてはなかなかのものだった。
最後に日本での『ハンガーゲーム』の宣伝に苦言を呈したい。下のポスターを見てわかる通りサバイバルゲームを強調している。このことは以下のポスターに限らずCM等様々な広告媒体で同じような宣伝のされ方をした。バトルロワイヤル要素ではあくまで人間が戦う以上他のヒーロー物の作品と比べ見劣りしてしまう。実際にこの作品はハンガーゲームが行われる社会背景を含めて初めて楽しめる作品なのでKADOKAWAはこの作品に気を使うべきである。