やらなきゃいけないこと がんばること 好きなこと
※懐かしの1時間執筆コーナー。時間オーバーは許されない。
頭の中のモヤモヤを出したい。
やらなきゃいけないこと と がんばること
人生って常に締め切りに追われてると思うんです。
これをやらなきゃいけない。あれをやらなきゃいけない。いついつまでに。
それをこなすことで、たぶん生きているし、1日が成り立っています。
でもそれだけじゃ、人生おもしろくない。しばられたくない!って人もいることでしょう。
そんな人は、なにを指標に生きていくか。たぶん「がんばること」に意識が行くんじゃないかなと。
今、これをがんばる。いついつまでにこれがんばる。次のステップに行きたい。資格合格したい。
やらなきゃいけないこと とシンクロするところもあるんですが、でも「がんばる」って自発的。自分で規定しないことには何も始まらないし、到達もない。というか、しなくてもいい。でもあえてやる。
この「がんばること」、自分が自分であるためには逃げちゃダメなんだろうなって感じます。
個性
現代社会は、必要以上に個性を求めすぎている。
自己を追い求めるがゆえに、自己責任の範囲はひろがるし、自分って何よ?って悩むことも多い。
消費社会はその格好の逃げ場であり、表層としての自己実現の場であり、搾取の場である。
言い尽くされているんだけど、、、でも、選択肢が多く存在するってことは、やっぱり贅沢で恵まれてると思うんです。たしかに迷うことはあるし、自分の決断これで良かったのかな?って思うことも多々あると思います。
でも、決めることで道は続くし、将来が開ける。道のそれぞれが「あなた」を表しているんです。
じゃあ道ってなんなんだろう。それこそ、上述の「がんばる」ってとこからはじまるものだと考えます。
がんばることの動機
楽しみを見つけたい
自分のレベルを上げたい
誰かに認められたい
自由にお金を稼ぎたい
しがらみから逃れたい
「がんばること」は自分や自己の表現なんだと考えます。出発点は自分。他人と関わったり、承認欲求もあるかもしれない。でも出発点はあくまでも自分。がんばってるだけで、あなたは「すごい」んだって俯瞰してもいいと思います。そこにゴールへの到達云々は、あまり重要ではないのかもしれない。
好きであること
「がんばる」に注目すると、「好き」も見えてきます。「好きだからがんばれる」ってシチュエーションですね。
実際、好きなことや気になることって探究心を掻き立てられます。その探究心を追い求める先に「がんばる」があるのかもしれない。
「好き」は「がんばる」の原動力になるんですね。
であれば、人生の中心に「自分」を置くなら、まず「好き」になることから始めたい。
アンテナを張って「好き」を探そう
ふと思うのですが、好きにかこまれるっていい生活なんじゃないかなって。
でも、これは聞き心地の良い情報に囲まれるって意味ではありません。
アンテナを張って、「あ、世界にはこんなこともあるんだ、モノもあるんだ。」こうした小さな驚きと好奇心の結果としての「好き」なんです。
生活がパツパツになってくると、こうしたアンテナって張りづらくなります。「やらなきゃいけないこと」に追われてしまって、自由に考える余裕がなくなっちゃいます。
でも
10分でもいい、30分でもいい。
電車の待ち時間でもいい。コーヒーいれてる間でもいい。
生活の中にちょっとだけ「好き」を探す時間をもつと、ちょっぴり「自分」を意識することができます。
これを進めていけば、「好き」を探す時間が増えれば、自分のしたいこと・がんばりたいこと、ひいては人生が見えてくるんじゃないでしょうか。
「好き」を探す場所
別に「好き」って自分ひとりで抱え込むこともないんです。それを探す場所を見つけてもいい。
私の場合は人と関わることが好きのベースにありました。だから誰かと関わりたかった。
そこであるコミュニティに参加しました。
ただ、そのコミュニティは期間限定。もうすこしで活動期間も終わってしまいます。
今だからこそ、なにか書けるんじゃないかって、漠然と思っていたことを書き出してみました。
「好き」探してみましょ♪