スタートライン
2011年9月〜2014年8月、JHP・学校をつくる会 に在職した。
小5の頃、母が懐かしそうに見ていた第4シリーズの『3年B組金八先生』を一緒に見始めたのが脚本家でJHP代表の小山内美江子さんとの画面越しの最初出会いだったと思う。
(もしかするとNHK BSでやっていた「マー姉ちゃん」の再放送だったかもしれないが)
第5シリーズはちょうど中3で、高2の第6シリーズまでは好きで何度も見ていた自分が、まさか小山内代表のNGOで働く日が来るなんて思ってもみなかった。
ドイツ国際平和村のボランティアから帰国後、やっぱり国際協力の仕事に就きたいといくつか履歴書を送った中でご縁をいただいて、これが人生初の上京だった。
JHPで働けたから、その後の国際協力業界での2つの転職につながって、そしてフェアトレードに関わったりやっぱりコーヒーをやりたいという思いが高まって、カフェで勤めて間借りして、2年前に相模原でコーヒースタンド eckeまで開いた。
今コーヒー屋とフリーランス経理のパラレルワークと言ってられるのもJHPで未経験から経理に抜擢してもらったからだし、
平和村の日本駐在員事務所の仕事をいただいているのも、NGOスタッフの経験があったから。
そしてそもそもJHPに採用されなかったら、一生名古屋で暮らしていたかもしれない。
そう思うと、小山内代表がJHPをつくっていなければ、2011年9月以降に知り合った誰ともあっていない可能性もあって、以降の人生がどうなっていたか想像もつかない。
自分のようにJHPに関わって人生が変わった人はたくさんいるし、
小山内作品に出演した俳優の方々も、
そしてカンボジアやネパールをはじめ国内外で様々な形で活動の受益者となった方々まで含めると、まさにその数は計り知れない規模なんだろうと思う。
ちょうど今年はJHPを卒業して丸10年。最後にお会いしたのはいつだったかなぁ。僕のことは半分忘れているような感じだったけど。
いつかこんな日が来るのかなぁと漠然と思っていたけれど、自分が思っているよりも心に影響が出ている気がする。
もちろん、人は過去を美化するもので、
大変な思いもいっぱいしたし(させられたし)、
いっぱい振り回されたけど、
一般人ではできないような事、会えないような方、
本当にたくさんの経験と出会いをいただき、
間違いなく今の自分が自分であるための、人生の再スタートラインだったのがJHPだった。
そんな訳で、小山内代表が作詞した訳ではないけれど、
海援隊の「スタートライン」と「まっすぐの唄」をヘビロテする日々。
奇しくも、2年前になくなったすみおばあちゃんと同じ昭和5年生まれで、命日も2日違い。天国で会っているでしょうか。
当時のスタッフリレー日記が残っていた。懐かしい。http://www.jhp.or.jp/jhpnikki/jhpnikki.html