【映画】楽園追放 -Expelled from Paradise-_01.人類の幸せは3つの世界のどこにあるのだろうか?
ネタバレと個人の感想が含まれております。
監督:水島精二(代表作、機動戦士ガンダム00)
脚本:虚淵玄(ニトロプラス。代表作、魔法少女まどかマギカ)
僕は『機動戦士ガンダム00』も、『魔法少女まどかマギカ』どちらも好きな作品で、二人の名前が並んでいるだけでこの映画は傑作だろうなと想像してしまう。実際に観ても王道SFであり、虚淵玄らしいダークな世界観を感じられる作品でストーリーの厚みもある。また、2014年に公開された全編CGアニメーションではあるが、当時の作品の中では非常にレベルの高いCGだ。そんな訳で、『楽園追放』か非常に万人受けしやすアニメ映画だと思う。
ストーリーのあらすじ
~ナノマシン技術の暴走により地上文明の崩壊をもたらした「ナノハザード」によって、廃墟と化した地球。人類の98%は地上と自らの肉体を捨て、データとなって電脳世界「ディーヴァ」で暮らすようになっていた。
西暦2400年、ディーヴァは異変に晒されていた。地上世界から謎のハッカー「フロンティアセッター」によるハッキングを受けていたのである。そこで捜査官アンジェラは、生身の身体・マテリアルボディを身にまとって地上世界へ降り立ち、現地の地上捜査員ディンゴと共にフロンティアセッターと世界の謎に迫る。~(Wikipedia引用)
要は
完璧な電脳世界で生きる主人公アンジェラが、電脳世界の平和を守るために、地球に潜む犯人・フロンティアセッターを捕まえに、ディンゴという現地民と協力して調査を進めて行くお話だ。
楽園追放の対比構造
ここからネタバレ入れていきます。
『楽園追放』は様々な対比構造でストーリーが進んでいく。
一番大きな対比は、「ディーバ」と「地球」だ。当然、電子情報となった人間と、生身の人間。裕福で安全な生活が遅れているが管理されている世界と、貧しいく治安も悪いがどちらかといえば開放的で自由な世界と言った感じだろうか?
『楽園追放』の2つの世界、人類は将来どちらの世界で生活するのが幸せなのだろうか?映画を観た後の僕の感想は、この問いを虚淵玄から問いかけられたように感じた。また、今回見直した時にさらに感じたのは、この虚淵からの問いかけって、2択じゃなくて3択じゃないか?という事だった。その第3の選択肢がフロンティアセッターが提示した、宇宙開拓の道だ。
宇宙開拓という、生身の人間も電子情報の人間もどちらも新たな人類が住める世界を探す旅である。
なぜ僕が虚淵からこのような3択を投げられているように感じのかは次の様にストーリーを観たからだ
アンジェラの選択
ストーリーの中で、「ディーヴァ保安局高官」「ディンゴ」「フロンティアセッター」のそれぞれが、自分の所属する、またはこれから目指す世界への素晴らしさを主人公「アンジェラ」に伝えていき、クライマックスでアンジェラは地球で生活することを決めるのである。ストーリー上アンジェラはディーバから追放、逃亡した身であるが、それはアンジェラが自身の元々の任務を完遂せず、ディーバの存亡を危うくするかもしれない考えを持ち込んできてしまったからであり、アンジェラ自身はディーバの存在を否定する考えは持っていないと思ったからだ。
クライマックスでアンジェラはディーバからの保安要員と、フロンティアセッターの宇宙開拓を門出を守るために戦闘をするが、これもディーバの否定ではなく、宇宙開拓という人類の第3の選択肢を潰したくないという思いからだろう。
この様な感じで3つの世界での生活を提示されたアンジェラがストーリーが進む中で地球で生きるという選択をしたことが、『楽園追放』のストーリーオチであると感じたからこそ、主人公に投げられた選択が制作人から視聴者への問いかけではないかと思ったのだ。
また、アンジェラが地球での生活を選択したという事は、虚淵玄もこんな未来なら地球が良いなと思っているんじゃないかと邪推している。
ちなみに僕はなんだかんだディーバの一般市民が一番幸せなんじゃないのと思っている。独裁監視社会って印象しか劇中だと分からなかったのもあるので。
皆さんは『楽園追放』の世界であったらどの世界での生活を選びますか?
それでは『楽園追放』の感想・考察の1回目はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございます。