【雑感】FAB23 BHUTAN目前、でもその前に迎えたもの
ブータンでの世界ファブラボ会議(FAB23)、まもなくはじまります。恒例のアップデートでもやろうかと思ったのですが、案の定すごく忙しくなってしまい、文章を十分練って書こうという感じでもなくなってきたので、今回は雑感としてお送りしたいと思います。
FAB23のプログラム詳細については、下記URLをご確認下さい。毎日何かしらの更新が行われているようですので、ご注意いただいた方がよろしいでしょう。
1.集中豪雨のストレス
FAB23の準備も兼ねて、6月中にいちどティンプーに出張したかったのですが、それが見事に流れました。南部のプンツォリンは、6月10日頃からほぼ毎日大雨で、それこそ線状降水帯に毎日数時間おきに襲われるというようなひどい降り方が2週間近く続きました。
この画像は6月16日にソーシャルメディアで広まった河川増水の様子です。場所はティンプーからプンツォリンに南下してくるとき、絶対に通らなければならないタクティ橋です。タクティ橋上流は、上にどれだけの水源があるのかと思うぐらい、平時でも水量がそこそこある、滝と呼んだ方が適切な急流です。ここを通らないとティンプーやパロとプンツォリンの往来はかないません。
幸い、土砂はその日のうちに撤去され、一般車両の通行も再開されました。しかし、その後もたびたび国道封鎖がなされていて、「今は移動すべきではない」と誰もが言います。
当然、私の出張も、二度三度と延期が強いられ、20日過ぎには6月の出張自体を完全に断念しました。
でも、自分が断念したとたん、集中豪雨は衰えを見せはじめ、6月下旬になると、JICAの関係者が2組プンツォリン入りして1泊2日で無事引き返して行かれました。一方、私はというと、19日からファブラボCSTで学生インターン10名の受入れを開始したため、彼らへの作業指示やJICAの関係の来訪者の現地応対の必要から、居残りを選択せざるを得ませんでした。それが完全断念の理由でした。
去年の6月は、CSTに水を供給する導水管が土砂崩れで流され、断水が1週間続いて気持ちが落ち込みました。今年は断水はなかったですが、1日数回にも及ぶ停電に悩まされ、私の宿舎のベッドルームはちょうどベッドの上で雨漏りがはじまり、夜中雨漏りで目が覚めて不安な夜を過ごすといった心細い思いもしました。
精神的には相当落ち込んだ1カ月でした。
2.綱渡りの準備
もう1つつらかったことは、FAB23への海外からの招聘の手配です。日本在住で、しかも面識のある方であれば、「阿吽」の呼吸で進められることもあると思います。しかし、第三国在住の方とのコミュニケーションを1人で取るのはものすごくつらかった。向こうから反応が返って来るタイミングも遅いし、こちらが期待していたのとまったく異なる反応をされたこともあります。しかも彼らの都合でこちらの対応を求めてくる。向こうの時間帯で急にZoom会議開催を求められたこともあります。こちらはパネリスト登壇をお願いしている立場だし、そこは受け容れて早朝のZoom会議であっても応じざるを得ませんでした。
うちでは、FAB23前半のFab Bhutan Challengeの準備はマネージャーのカルマ・ケザンさん、後半のカンファレンスの準備は私という役割分担でこれまでやってきました。しかし、さすがにFab Bhutan Challengeの参加メンバーも決まって参加者間での準備コミュニケーションがはじまると、サブスタンスの部分での議論はカルマさんから私に振られるケースも増えてきて、私が睡眠時間を削って説明資料を作ることもありました。
それに加えてのFAB23サイドイベント準備です。パネリストへの振付けはやらなきゃいけない、ワークショップの準備もしなきゃいけない、しかも、イベント登録申請の際に内容は見せて確認をもらっていた共催相手が、この段階にきて「あれはできない、これはできない」と言いはじめたり、そもそもFAB23があることを忘れて他の予定を入れようとされたりと、信じられないことまで起きて火消しに追われました。
主催者も、あれやれこれやれと言うわりに、肝心なところになると各ラボの自主的アクションに委ねると言うこともありました。外国からの参加者から寄せられることが容易に想像される問い合わせにも、主催者は「立て板に水」的な返答をするため、そのしわ寄せが地方ラボに回ってきたというケースもありました。
本来なら会って調整したいことも、ティンプーに出張できないため、Zoomを使ってなんとか説得を試みました。加えて、前回ご紹介したような、余計な作業もにも手を染めました。
「現場のことは現場がいちばんわかっているのだから、現場のあなたに頑張ってもらうしかありません」―――私の派遣元からは、そう突き放されていました。サブ・ロジ両方を1人で担うのは正直ものすごくきついです。そういうストレスを話す相手も近くにいないので、ため込んでいるものが相当あります。ここでこれ以上は詳述しませんが、「これは自分のためにやっている」と言い聞かせて、ひたすら耐え忍んできました。
直前になってハシゴを外されないよう、これからもこまめにリマインドを繰り返して行かないといけません。
3.そんな中で迎えた還暦
FAB23カンファレンスで仕込んでいたサイドイベントの前説のため、また派遣元への第1四半期会計報告のため、ティンプーに上がってきている中、7月10日に私もとうとう60歳の節目の誕生日を迎えました。
ティンプーも日差しは強く、日中は暑いけれど、プンツォリンと違って湿度は低い。はるかに快適な気候にホッと一息つきながら、この日を迎えることができました。
FacebookやLINEにてお祝いのメッセージを下さった皆さま、ありがとうございます。慌ただしすぎて、あれよあれよといううちにカウントダウンが進んでいき、気が付いたらこの日に至っていたという感じでした。
嬉しい出来事、楽しい出来事、怒りや哀しみなど、これまで家族とはたくさんのことを共有させてもらいながら、そして有形無形の支援してもらいながら、大過なくここまで無事にやってくることができました。まずは妻をはじめ、家族には感謝の気持ちでいっぱいです。私がため込んだ、先に述べたようなストレスやプレッシャーを、聞いてくれていたのは妻でした。通算5年超にも及ぶ単身赴任を認め、子どもたちの成長を見守っていてくれました。
あとは、親と弟たちにも感謝したいと思います。私はこれまで生きてきた60年のうち、通算で14年弱を外国で過ごしてきた計算になります。単身赴任を許してくれた妻への感謝は当然ですが、長男が何度も外国赴任することを、年老いた両親や、万が一の場合にはその両親のケアをせねばならなくなる弟たちが許してくれたことにも感謝しかありません。
任期は12月まで残っていますし、これまでお世話になった多くの方々に感謝の気持ちをお伝えし、これから自分はどう生きていくのかお知らせするのは、日本に戻って、所属先を定年退職する、今年度末ということになるんでしょう。
休職扱いでかつ一人任地で仕事していると、派遣元から入って来る情報は著しく制限され、東京で何が起きているのか知る機会はほとんどありません。そんな状況が2年以上続けば、業界用語もかつて同僚だったり仕事上接点があった職員の名前もどんどん忘れていきます。その一方で新しい人間関係がどんどん生まれ、自分にも新たなスキルが身についてきている実感もあります。定年での退職に向けて、いい移行期間をいただいたと思っています。
FAB23では、個人的には「老後とファブ」という切り口でさまざまなイベントを覗いてみたいと思います。ファバーとしてはキャリア10年にも満たないのに還暦を迎え、それでもいっぱしのファバーとして名をはせ、若い人々と一緒に手足を動かしているような人と出会って話を聴けたら、私自身のセカンドキャリアの生き方にも、何か参考にできるものがあるでしょう。
これからの10年、とても楽しみです。
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