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国際協力におけるファブラボとの向き合い方

1.学びをはじめるのに、早い遅いはない

ブータンに来てから、私がよくたとえで使うのは、「自分が「ファブラボ」という言葉を聞いたのが2013年10月で、その時すでに私は50歳になっていた」というお話です。ファブラボCSTでは、プンツォリン市内の初等中等学校の先生や生徒さんの見学ツアーを時々受け入れることがあるのですが、引率する先生方の関心は、「いかに生徒に新しいテクノロジーを学ばせるか」という点にあり、自分でこの世界にダイブして、率先して学ぼう、時に生徒からも教えてもらおうという視点はほとんどありません。教員だからと当然だと思われるかもしれませんが、ブータンでファブラボを訪れる大人はすべからく、それを自分ごととしては捉えていません。面白そうだから自分も学ぼう―――とはならないのです。

50歳にして初めて「ファブ」を知った時、私の直感は、「これって、老後のたしなみになるかも」ということでした。だから、高いお金も払って3D CADの研修やScratchプログラミング講座に出てみたりもしました。本もたくさん買い込んで、勉強もしました。ThingiverseやGitHubからオープンソースのデータをダウンロードして、近所のファブスペースに持って行って3Dプリントしてみました。さらに、個人的に3Dプリンターやmicro:bitを購入して、動かしてみました。こうして自分自身でこの世界に浸かったことで、見えてきたものも多くあります。そして何よりも、それから9年が経過して、今こうしてJICAの技術協力専門家として働くに至っています。

子どもを引率してファブラボCSTを訪れる先生方に、私は必ず言います。自分はこうして工科大学(CST)に在籍しているけれど、科学のバックグランドも、工学のバックグランドもない。人文社会学系の学位を持っている自分がこんなところで「専門家」を名乗っているわけだが、それに必要なことは、50歳を過ぎてから、自分で学んできた。先生方にとって、子どもたちに学んでもらうのはもちろん大事なことだが、21世紀の新たなスキルは、学校を卒業した大人にだって必要だ。大人も率先して学んで欲しい。新しいことをはじめるのに、遅すぎるということはない。

目の前の生徒さんたちだけでなく
引率の先生や、CSTのスタッフにも語りかける

このメッセージは、地域のお客様が来訪される時にだけ、運営サポートのためにファブラボに来てくれる、CST学内の教員に向けたものでもあります。試験の時期を除けば、CSTの学生は比較的よく利用してくれています。でも、特に教員はからっきし。テンジン君や私が常駐しているから、彼らにやらせておけばいいと考えているのでしょう。

さて、冒頭から話を脱線させてしまいましたので、ここで本論に戻します。


2.ファブラボを作ることだけが国際協力ではない

繰り返しになりますが、私が「ファブ」を知ったのは2013年10月、JICAに勤めていた頃のことです。慶應義塾大学SFCの田中浩也先生が東京・麹町のJICA本部にお越しになり、役職員に対して「ファブラボ」を紹介されました。この講演会を主催した部署に自分が近く異動することが決まり、前任者から業務引継ぎも兼ねて出席するよう求められました。(そのあたりの経緯は、拙著『ブータンにデジタル工房を設置した』でも描いています。)

その後、2015年度から16年度にかけて、JICA研究所からファブに関するいくつかの出版物が出されました。当時は、そういう領域に非常に感度の高い方が所長としておられ、そのネットワークで外部の有識者の方々への声かけもなされ、ノリのよい若手職員もそこに集っていました。たぶん、JICAの中で「ファブラボ」がいちばん盛り上がっていた時期といえるでしょう。

私も、すでに異動でJICA研究所は離れていたものの、事業戦略を担う部署でファブラボ利用のJICA事業での普及の担当でもあったため、五十路の職員の分際で、研究所に出入りさせてもらっていました。ファブラボもそうでしたが、他にも、この当時のいろいろな方々との交流の中で初めて存在を知ったSONYのMESHブロックなども、今私の当地での活動においては有用なアイデア出しのツールとして、実際に使わせていただいています。

MESHのレシピを生徒と先生に考えてもらう
MESHブロックは、現場ではかなり強力なツール!

このように、JICA研究所は2015年当時、このテーマでものすごく盛り上がっていて、上で挙げた何冊かの刊行物を世に出しました。拙著でふれた2017年7月の「ファブラボ・ブータン」開設の際、開設に動いていたブータンの若者たちを側面支援するため、当時JICA事務所の所長だった私は、研究所の出版物を相当引用して、メディアへの寄稿や政府高官への説明に使いました。その後経営譲渡といった困難も経験しましたが、「ファブラボ・ブータン」は私にとっては任期中の1つの成果だとは自負しています(JICAの事業での支援はしてませんが…)。2014年に、当時派遣されていた青年海外協力隊員が開設に尽力したフィリピンの「ファブラボ・ボホール」も、同国初のファブラボとして注目されました。グローバルなファブラボのネットワークが、「JICA」に注目していた時期が確かにありました。

でも、その当時すでに1.5年で倍増するようなペースで全世界で急速に増え続けていたファブラボの増殖ペースと比べると、JICAが開発協力の実施でこのネットワークと連携し、現地のニーズに合った解決策を、現地の人材や入手可能な原材料を使って、世界中にある知見をつなげて解決しようという取組みは、残念ながらあまり進んでいるとはいえません。

世界にはこんなにいっぱいファブラボがある

フィリピンやルワンダ、最近ではブータン、インドネシアで、JICAはファブラボを開設して業務が軌道に乗るのを支援するという国際協力は行ってきました。でも、ファブラボの増加ペースはもっと速い。ファブラボへの協力を、あまたある開発協力案件の中の1つと捉えて、何年もかかって特定のファブラボを軌道に乗せるような協力を行っている間に、周りには別のファブラボがどんどん出来上がっていってしまいます。

今私がいるファブラボCSTにしても、ブータン政府から技術協力の要請が出されたのは2017年8月でしたが、日本側で政府が要請を採択し、実施枠組みの合意がなされたのは2019年12月。さらに新型コロナウィルス感染拡大の影響で長期専門家の任国入りが実現したのは2021年5月、プロジェクトサイトのCSTに入れたのは2022年4月です。いろいろな事情があったにせよ、技術協力が本来あるべき現場における対面での実施につながるまでに、実に5年を要しています。そして、その間にスーパーファブラボなどが先に開業の日を迎え、ファブラボCSTはブータン6番目のファブラボということになってしまいました。

ブータンのファブラボの配置図。これから東部にも増えていくだろう

立ち上げ自体を公的に支援するというやり方は確かにありますが、それより、増殖し続けるネットワークとの接点を世界各国で築いて、ご近所のファブラボを活用した地元ならではの課題解決策を、同時多発的にプロトタイプしていくことの方が、よほど理にかなったアプローチだと私には思えます。

遠藤謙:先ほど、Dラボの課題として現地に行けない時があると言ったのですが、ファブラボのような拠点があれば、現地パートナーとリアルタイムで同じものがつくれます。プロジェクトも効率よく進むうえに、現地パートナーのつくる力も養えちゃうわけです。

田中浩也:そういう関係であるべきだと思っています。ファブラボは単独の工房ではなく、工房のネットワークです。ある意味では、プロジェクトを孵化し、育てるための「インフラ」なんです。それぞれのファブラボももちろん大切ですが、ネットワークを活用したプロジェクトを増やしていけたらと思っているんです。

遠藤:Dラボでは最近、ものを作って持っていくより、現地の人の力を養うことを第一に考えています。ファブラボは、この活動を加速させる「インフラ」として、僕も非常に期待しています。

田中浩也『FabLife』(オライリー、2012年)における、MIT D-Lab遠藤謙氏との対談より

また、フィリピンのファブラボは現在25カ所にまで増えていますが、ファブラボ・ボホール以外に、フィリピンでのJICA事業が接点を持っているファブラボがあるという話は聞きません。2020年12月にファブラボ・フィリピン・ネットワークが正式発足しましたが、これを支援したのは米国のUSAIDでした。フィリピンが短期間でこれだけネットワークを拡大したきっかけは、1人の協力隊員のご尽力だったのに、案件単位で捉えているからその隊員の方の任期終了とともに、JICAは先駆者としての特別なをポジションを簡単に手放してしまったように見えます。


3.なぜ開発協力におけるファブラボの活用が世界各地で盛り上がらないのだろうか?

それにしても、すでに4カ国で開設支援実績があるのに、しかもそれなりに開発協力のアプローチの1つとしての検討も調査研究を通じて行われているのに、それが面的な展開に発展していかなかったのはなぜなのでしょうか。もちろん、2013年11月から2016年3月までは、その面的展開を推し進めなければいけない立場に私自身があったわけで、これが思うように進まなかった責任の一端は、私自身の力不足だったのは言うまでもありません。

しかし、それ以降に目だった進展がなかったことに関しては、私の責任だとは思えません。幸いにして私はこの間、東京で関わってきたことを生かして、ブータンで最初のファブラボをとにかく作るというのには貢献したと思っていますし、結果的に同国6番目のファブラボとなってしまったけれど、当時「ブータン第2のファブラボ」を地方に開設しようという案件の発掘もしていました。多少なりとも理解している職員が現場に出ると、こういう成果を上げることができるというのは、見せることができたと思っています。

では、何がいけないのでしょうか。

第一に思い付くのは、この世界を身をもって体験して、なぜそれが必要なのか、どのように関わればいいのかが感覚としてわからない職員が多いことです。話を聴いている分にはなんとなく面白そうなのだけれど、何からどう手をつけていいのかわからないということです。自分で実際にデザインして、機械を動かして、雑でいいので何か1つ作ってみると、「なるほどそういうことか」と感じられるところも大きいでしょう。少なくとも、そこまで一度は踏み込んでみないと、この世界で活動している人たちとの接点を見出すことは難しいように思います。

第二に、案件単位で物事を捉える日本の開発協力の進め方が、ファブと合っていないようにも感じます。ファブラボを案件単位で捉えていては、「ファブラボの新設を支援する」という発想にすぐにつながりますが、案件発掘から事業立上げまでに3~5年もかかっていると、ファブラボの新設自体が陳腐化しかねない。放っておいても増え続けるのであれば、むしろそれらをJICAの事業でもっと活用するよう慫慂する方が、ファブラボのネットワークとJICA事業の双方がWin-Winとなれるアプローチではないでしょうか。

しかし、そこには第三の壁があります。案件単位で物事を捉える組織編成になっているので、事業横断的に現地でのファブラボの活用推進に向けて、旗を振れる部署がどこにもないのです。ファブの良さというのは、アイデア次第で何でも作れ、農業、保健医療、福祉、環境、インフラ、防災、教育、産業振興、観光など、複数の分野課題について、解決策をプロトタイピングできるということにあります。しかし、「どんな課題にも対応可能」と強調すると、「それでは、それ、うちじゃないですね」と言われてしまう。どこもスタッフの人繰りに余裕がないため、部署がまたがるようなテーマの推進役に、あえてなろうという管理職はいません。


4.それでも今自分にできることは?

上記3で挙げた1つめのポイントについては、私の肩幅でできることとして、①ブータンに派遣されてきたJICA海外協力隊の新任隊員の方の現地オリエンテーションの一環として、ファブラボについての紹介をする(「他事業とのコラボも視野に-新任ボランティア現地オリエンテーションへの協力」2021年12月30日)、②JICAの留学生支援制度で国際大学で勉強中の留学生に、ファブラボ・ネットワークの存在を知ってもらうような講義をやる(「日本にいる外国人留学生に「ファブ」を伝える意義」2022年11月18日)といった形で、私なりに取り組んできました。

これ以外にも、③海外赴任を予定しているJICA職員向けの研修や、④世界各国のJICA現地事務所のナショナルスタッフ向けの研修向けに、国際協力におけるファブラボ・ネットワークの活用をテーマに講義録画を収録してもらったりしています。講義録画はオンデマンドなので、効果のほどはまだわかりません。

昨年の秋、任地であるプンツォリンにも入れず、首都ティンプーに留置きされた状態で何ができるかをいろいろ考え、日本のファブラボ関係者を招いてCSTのプロジェクト関係者や学生、その他ブータンで関心がありそうな人々に声をかけ、「オンライン・ミートアップ」というトークセッションを企画しました(「日本のファブラボを知ってもらう-「オンライン・ミートアップ」シリーズを実施」2021年12月29日)。JICAの社内掲示板にも掲載してもらい、職員のオブザーバー参加を呼びかけましたが、ほとんど参加者はありませんでした。知っている人には面白い内容だったのは間違いないのですが、知らない人に最初の一歩を踏み出してもらうところが難しいように感じました。

本当は、このカバレッジをもっと拡げて、派遣前の技術協力専門家や、協力隊員の事前研修、さらには具体的な派遣予定がなくても専門家予備軍の方々向けの研修で、少しぐらいファブの実地体験をしてもらえたらいいと思うのですが、各研修の担当部署が異なりますし、遠隔地にいる私の個人的な努力だけでは、とても説得しきれません。ブータンに派遣されてきておられる技術協力専門家や協力隊員の方々とのコラボ企画をファブラボCSTの側からどんどん提案して、「ファブラボは国際協力にこう役立つ」という好事例をいくつも作り、これを東京のJICA本部の方々に向けて発信していく―――それがいちばんいいのかなと思います。

それでも、上で述べた第二、第三の壁を打ち破るのはたやすいことではありません。自分が経験した困難を、いずれお話しする日もあると思いますが、味方に背後から銃で撃たれるような経験をしたこともありました。その時の出来事を通じて私が自分に言い聞かせたのは、まずは今ブータンで自分がやらねばならないことをしっかりやろうということです。

ファブラボ・ネットワークの側から、国際協力実施機関に対して期待されているところは大きいと思いますが、2013年8月に横浜でFAB9(第9回世界ファブラボ担当者会議)が開催されてから9年が経過した今も、受けて立つ土壌は育っているとは言えません。相手の既存の思考枠組みの中でそれでも物事を進めるとしたら、市民社会組織や大学・研究機関など、外部の組織の方々同士で自律的にコラボを進め、国際協力実施機関に対して案件ベースでの事業提案を行うケースをどんどん作っていくのが現実的だと思います。

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