人生の旅路に増える荷物と人間模様。
生時代の夢を見た。
今は連絡も遊びもせぬ、思い出の奥底にあった彼ら今は何をしているのだろう。
たまには、そんな日記らしい事に思いをふけることにする。
様々な人間関係の形。
友人、恋人、家族、腐れ縁。
いずれにせよ、どんな形であろうと。
最後には、絶対に別れるものだと私は考える。
一時的に仲良くして、愛を紡いだり、友情を刻んだとしても。
そこに意味は無い。
いつしか過ぎ去った思い出になることは、明確なのだ。
全ては、ただの通過点に過ぎない。
誰もが、いつまでもそうなのだ。
例え、誰かと仲良くなる事も、苦しみ別れることも、所詮は通過点でしかないのだろう。
そこにさほどの崇高な思いやりや、愛なんて文字通りのモノはおそらくない。
ただ、たまたま出逢ってしまっただけ。
そこに、運命や出会いなどと理由を付けるのも、また楽しいことだ。
だから、少しだけ愛でたりする事があっても、良いだろう。
だが、何れは必ず離れゆくもの。
幸せの形や、友情、愛情は各々が、勝手に見出すもの。
故に私は、通過点と考える。
旅は道連れ、世は情け。
人生という長い旅は、行く先々で出会いと別れを繰り返すだけ。
そこに対して、意味は無い。
あるのは、その一瞬の感情の瞬きが消えゆく星のようにあっただけ。
消える星々に、意味は無い。
ただ天寿を全うして、燃えただけ。
全ては虚しく、無意味だ。
だから、人は寄り添い、儚い一瞬の同調を求める。
どうせ憎しみ合うし、啀み合う。
万が一、何かの間違いで長く関係が続いても、いずれ絶対に人は死ぬ。
最期には、結局別れるのだ。
だから、誰よりも何よりも。
私は、死んではならない。
死を別れとせず、尋常なる別れを遂げる為に。
人は何れ、どのような関係であろうと、なんであろうと、どれだけ愛そうと別れるのだから。