【半世紀ぶりに実家に戻って来た姉!ピアノと共に…】
今回の一時帰国で驚いたのは、二階の部屋に段ボールや衣類ケースが所狭しと置かれ、衣類や身の回りの細々としたものが散乱していたことでした。
また二階の踊り場には一階に置かれていた電子ピアノが移動しており、一階リビングの電子ピアノのあった場所には木製の縦ピアノ(アップライト)が。
そういえば先月
「リビングにある応接セットを捨てていい?代わりに私が使っているソファーセットを持ってきたい。で、ピアノは…」
と電話がありました。
古い応接セットは古めかしく、お掃除で動かすのにも重く。
軽量で今時デザインのソファーセットに替えるのは大歓迎です。
が、一応捨てる前に家族みんなの了解をと気を使ってくれたのでしょう。
「上の階に荷物いっぱいね」
と言うと
「そう、前のところを引き払って来たの!」
京都のマンションは43年間棲み続けていたそうで、いつかは奈良に戻ってくるとは話していたのですが。
またあっさりと…。
「大家さんが、私の部屋をそのまま後、使いたいと言ってくれたので」
家電類はそのまま置いてきたそうです。
軽トラ一台で、引っ越し楽ちん!
まるでホーチミンのサービスアパートメントみたいですw
というわけで、何と大学で東京に行ってから、その後京都にずっとおり、
我が家に帰ってくるのは何と50年以上ぶりです。
「もう京都の自分の部屋に帰っても、よそよそしい感じがして。もう潮時かなと思った」
私がコロナ前に日本を経った直後に母が転んで怪我をしてから、日々の生活が不自由になり。
その後姉は、ピアノの仕事を続けながら付き添いとデイサービスで面倒を見てきてくれていたので。
事実上は、ほとんど奈良の実家で暮らしていたのですが。
さて、姉の整理整頓、家事は徹底していて。
朝食はコレ。
お歌の生徒さんが来るといったら、何気にささっと庭のクチナシの花を飾る。
偉いなーと頭が上がらない一方で、ちょっとやり過ぎ感が半端なく。
もっとズボラでないと、神経が参ってしまうのでは、痩せすぎてしまったし…と気が気でないのですが。
母がいつも幸せそうに笑っているので…
みんなが自分の思うように生きてゆけたら、それがいちばん、と思うのです。
それにしても。
50年ぶりに、姉のピアノのレッスン音が毎日聞こえてきます。
電子ピアノの時はヘッドフォンをしていたので、音が漏れなかったのですが…。
ピアノの音が聞こえて来ると、姉の国立音大ピアノ科受験時の悪夢がよみがえってきましたw
朝4時、5時から練習、高校に行って帰ってきたらまた夜の10時まで試験の課題曲を練習。
受験間際には朝から晩まで課題曲のバッハのインベンションとベートーベンの「月光」第三楽章が繰り返し、繰り返し…。
さらに部分練習では、壊れたレコードのように、同じフレーズを何十回とリフレイン…
一緒に生活していると、なかなか苦痛ですw
今でも、ストリートピアニスト(だった)You Tuber、「Budo / ぶどう」さんが「〇〇人に〇人しか弾けない難題曲」とかなんとか、「月光」第三楽章を弾くと、子供の頃の記憶が蘇ってゾッとします…。w