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225/1000 連休のため引きこもってる場合じゃなかった。福岡の病院に紹介状持参して受診…加齢と向き合い自分を大切に…

えとうともこ@福岡です。昨日転倒して病院に連れていかれて、実は顔を5針も縫ったので、一般に翌日の今日は消毒に行かないといけないとのこと。土曜日に開院している形成系クリニックは、電話してみても、軒並み予約満杯のため断られました。そうだよね、連休前の土曜日ですもん。。

私立と違って土曜日は診療お休みの某基幹病院に電話して相談してみたら、時間外・救急の窓口で、受け入れてもらえました。心からホッとしました。もし日曜日祝日の間に傷口が悪化したりしたら、とても困ります。その状況からの病院探しなんて、想像するだけで、ムリ…と震えてしまいます。心弱ってしまいますね。あちこち痛いとね。

研修医の若い女医さんと、指導の先生と、ベテラン看護師さんの3人態勢で、丁寧にひとつひとつの怪我について相談しながら消毒と処置を進めてくれました。血痕がついたままになっている部分も拭き取ってくれたようです。

安心って、そうそう、こういうことでした。…と、じーんと感じました。自分を大事にすること、気持ちがホッとすることを許すこと、忘れていたかも。「綺麗に治るといいですね」って心からの言葉かけを頂戴して、とってもうれしかった。ただ事務的に処置されるのとは大違い。希望をもってがんばろうと思えます。実際には困難なことかもしれないとしても。

相談の末、結局連休明けは近くの医院に行くことになり、紹介状もらって帰りました。その大病院の形成は評判がよいらしいのですが、とりあえず家の近くで抜糸までのプロセスを終わらせることに決めました。基本的に元気だとはいえ、電車に乗って通院するのは負担が大きく、待ち時間も考えると、疲れてしまうかなと…。紹介された医師と、もし相性悪そうだったら、また、その病院に通うことにしようと思います。

ずっと子どものこと中心で、自分のことになると、テキトーだった私。不器用なので、一度にできることはひとつなんです。自分のこと後回しにしないと子どもを育てられなかった。…で、これがもし娘だとしたら。と考えてみる。

顔のことだもの、もし娘がこんなことになったら、いい加減に済まそうとはしないはず。その時点であらゆる可能性を探り、ベストな選択をしようと全力を尽くしてただろうと思います。

ということで、投げやりになりそうな自分を鼓舞し、WEBはもちろん、知り合いに当たったりして、病院の選択を検討しました。ただ、これまた加齢の影響か、娘や息子の怪我や手術のときほどのこだわりは、持てなくなっていることも含め、今の自分を受け入れ、自分の判断に責任をもって、なにごとも試行錯誤していくしかないのだと感じます。

ちなみに、娘の手術の時は奈良から滋賀まで行ってウィークリーマンション借りて数週間付き添いしたし、息子の時は(自分は奈良に住んでいたのに)慶応病院への紹介状をもらってピンポイントのその分野の一人者に診ていただき、手術2回その先生に担当していたたきました。これらは悔いのない選択になりました。

その根性はちょっと今回の自分に関しては、もうないかも。ということ。

そもそも、転ぶ前の一歩、つまずいたとしても、それをカバーする反対の足がすぐ出なかった、そのために必要な重心が安定していなかったこと、かつての自分とは違うわけです。バランス感覚と俊敏性でそんなに劣るとは思っていなかったけど、バランス崩して転倒した…しかも顔もかばえなかった。…そういう自分の変化を真摯にうけとめつつ、トータルで最良の選択をしようと思うのでした。

傷が治ったらいろいろ鍛えなおさねば。でも、年を重ねていくとき安全なのは、ウォーキングとスイミングかも、と、今回のことで同年代の友人とLINEメッセージを交わしました。うーむ。

画像は、旅で出会ったハイビスカス。お花の画像で、その時感じた風や小鳥のさえずりを思い出して、リストア。

(🔷2020・2・22   225/1000 日課の記録はお休みします)

日課をふりかえると、ここのところ、走る頻度が落ちていました。そんな状態で、見知らぬ道を走るのは無謀だったのでしょう。反省。慎重にいこう。

転んでもただでは起きないぞ。

ではまた。おやすみ~


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