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「今日のカフェオレ美味しかったね」と言い合える夫婦になりたい

「今日のカフェオレ、美味しかったね」


昨日の夜、夕飯前に一人で散歩しながらとあるマンションの駐車場を通りがかった。

そのとき、ちょうど車から降りてきたご夫婦の奥さまが旦那さまにかけた言葉が、冒頭のものだった。

その言葉を聞いた瞬間、とある光景が思い浮かんだ。

ご夫婦は、先ほどまでカフェかレストランにいらっしゃったのだろうか。
同じカフェオレを注文して飲んでいた。
そしてお店を出て車でマンションまで戻る中で、奥さまはカフェオレの美味しさを思い出して、旦那さまに共感してもらいたくて話したのかもしれない。

その日常の一コマが私にとってはとても尊いものに感じられて、「ああ、こんな夫婦になりたい」と思った。


私は、幼い頃から一切、結婚願望がなかった。

理由は明確だ。

結婚に夢を持てなかったから。

私の両親は、私が幼い頃からずっと不仲だった。
母からは、「お父さんは結婚してから変わってしまった」とよく聞かされていた。

そうか、結婚したら人は変わるんだ。

幼い私はその言葉を信じ、いくら素敵な恋愛ができても幸せな結婚につながるわけではないという教訓を得た。

でも、両親が仲良かった頃のアルバムを私は見たことがある。
母の部屋の奥に隠されていたのを、小学生の頃の私が勝手に発掘したのだ。
私はそのアルバムをとても気に入っていて、母の目を盗んではよく手に取っていた。

母は自分たちの幸せな時代を私が知ることをあまり快く思わないだろうと思ったので、母の前ではアルバムを見ないようにしていた。
でも私は、幸せな空気が伝わってくる写真の数々を見ながら自分も満足した気分になれたし、今ではあまり子育てに関わってくれない父の若い姿を見るのが新鮮だった。

こんな素敵なカップルも、結婚したらうまくいかなくなるのか。

二人の関係が輝いていた時代を知ったからこそ、行き詰った現実が余計に悲しかった。
二人は何で結婚したんだろうと不思議に思ったときさえもあったけれど、アルバムを見るたびに「当時はただ純粋にお互いのことが好きで、結婚したかったんだな」と思った。

純粋な気持ちだけじゃ、うまくいかないんだ。


そうして、私の結婚への期待はゼロになった。

中高生になって、恋愛に憧れることはあっても、実際に一歩踏み出すことはできなかった。
それどころか、恋愛をしている周囲の人たちに対して、「結婚するわけでもないのに束の間の恋愛を楽しむなんて、なんか刹那的に生きてるよな」と醒めた見方をしていた。

大学生になっても、私はどうしても恋愛をする気が起きなかった。

結婚につながらない恋愛は空しいし、結婚を見据えた真剣な交際だったとしても、結局、将来幸せが壊れる恐れもある。

だから、最初から恋愛なんてしなくていい。したくない。

上京して実家を離れてもいまだに両親の姿が頭から離れなくて、私は恋愛にひどく消極的だった。



でも、大学を出たあたりから、「結婚するのも案外悪くないのかもしれない」と思うようになった。

親戚一家を始めとして、私の周りにいる家庭を落ち着いて見てみると、うまくいっているご夫婦も多いことに気づいた。

特に、離れて暮らす親戚一家は、年齢を重ねてもいつも幸せそうにしている。
そんな家庭を築くことが私にできるという確証もないけれど、逆に、できないという確証もないのではないか。

うちの両親は、私にとってあまりにも大きな影響を与えた存在だけれども、数で言うとたった1つのサンプルでしかない。
この世の中にどれだけの夫婦がいるのかを考えると、両親のケースに引っ張られすぎる必要もないのかもしれない、とようやく思えるようになった。


大学を出て数年が経って、私はとある男性と婚約した。
私たちはすでに同棲していて、もうすぐで正式に入籍する。

今は、自分の結婚に対してあまり不安を抱いていない。
うまくいくかどうかはもちろん分からないけれど、うまくいかないと断言することも誰にもできない。
将来を心配する時間があれば、その時間をパートナーや自分を大事にすることに充てたいと思っている。


今夜、私たちはワインを飲む予定だ。
普段は二人ともお酒を飲まないが、いただいたワインがあるので、せっかくだから少しずつ飲もうということで、晩酌をすることにしている。

冒頭のご夫婦と同じように、私たちもいつまでも「昨日のワイン、美味しかったね」と言い合える関係でありたい。


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