「NO limit」と叫んでいた49歳の私が受けた洗礼
こんばんは。
おさなです!
まずは急なお知らせだったにもかかわらず、
しばらく更新もしてなかったにもかかわらず、
これまでの私の記事を読みにきてくださってた方々が相次いでいいねを下さった上に、
再びこちらでも繋がってくださるという、、、
また新たにこちらで初めましてで繋がってくださるという方々も、、、
なんてありがたいことなんでしょう、、、
ありがたくてありがたくて、
思わず「あなたにも?チェルシー、あげたーい!←あのあどけない金髪の女の子を想像してください」
って脳内で手を差し出そうとした瞬間、
そうだった!もうチェルシーは販売されてなかったんだ!
しかも50歳になりましたよーって自分から公言しているnote上で
いったい何を想像させようとしてるんだ?
とふと我に帰るという^^;
そのくらい嬉しくて舞い上がっちゃったんだってことだけでも伝わればこれさいわいにございます。
ひとまずエア握手ってことで、、、
本当にありがとうございます。
さて、そういうわけで、
50歳から始めるおさなnote、、、
まず何から書こうかなと思った時、
ふと昨年の誕生日に書いた記事を思い出しました。
はい。
もうすでにタイトルからどっか飛んで行ってますね。
この頃の私はというと、
長女の高校受験真っ只中というところにいました。
現在通っている高校の推薦入試を受けたいということで、
学校からの推薦をいただけるようにと推薦希望書という、これまた実にめんどくさい書類を娘と共に作成していたわけなのですが、
とにかくいろいろアピールはしておこ?
だけど、
記入できる範囲はとっても狭いですのでがんばってまとめてくださいってどう考えても反比例的なあれだろ!と。
しかも私の場合、それを自力で記入するわけでなく、
全面的に娘に書かせているわけで、、、
「これどうまとめたらいいの?」
「これじゃ記入欄に収まらない」などと文句たらたらの長女に、
こっちもあれこれ文章を考えるもいまいちしっくりこないし、自分で記入することができないというのでもいらいら。
はい。
もうわかりますよね?
正直毎日喧嘩が絶えませんでした。
それどころか、誕生日当日に進路決定をする教育相談なんてものがあったのがいけませんでした。
そのほかにもいくつかクリアーしなければならない問題があったのですが、
それらも一向に答えが出せない状況で、
日に日にその不満が溜まっていってたんでしょうね。
お互いイライラの頂点に達してしまったあげく、
娘からコップの中にあった水をぶっかけられたことは今でもよく覚えていますし、
もはやそれで目が覚めたような。
さすがにこれはまずいなと。
それから1年。
今夜は学校が提携しているJFL所属のサッカーチームを応援するべく、
ハーフタイムショーに出演しております。
場所は国立競技場。
そう、あのかの有名なあそこです。
片道2時間以上かけても、日々の稽古が予想以上にハードでも、
とにかく楽しいと言って通っている長女。
決して最善とは言い切れない環境の中にもかかわらずその強靭なメンタルに日々脱帽するばかりです。
おそらくそのメンタルを育ててくれたのが現在次女が通っている中学校の吹奏楽部での3年間の貴重な経験と恩師と呼べるような先生との出会いに他ならないと思います。
そして次女もまた姉がかつて経験したことを捉え方や立ち位置などは多少違えども順調に経験しているという。
もちろん未だ解決できていないこともありますし、
この先にだってまたその時その時感じるだろう、直面しなければならないだろう問題が確実にあるかと思うのですが、
そういう意味では1年前、コップの水をぶっかけられたことも今となっては忘れられない思い出であり、現在地としては
「no limit」という感覚とはまた少しちがっているかもしれませんが、
ただ一つ言えることは、
まぁどうにかなってるよ!
ということです。
たぶんこの時の私がなぜこの言葉に妙にこだわっていたのか、、、
思っていた以上の閉塞感を感じていたということと、
あとは菅田将暉さんがUSJのSHIーEMUの NAKADEよく言っていたのが印象的だったということ。
ほらっ、推しが使っている言葉とかアイテムとかって多少なりとも影響を受けたりすることがあるかと思うのですが、
まさにそれです。
今年でいえば、
「勝ち切る覚悟」とか
「史上最大の下剋上」とか、、、
「ささやかな花でいい、大袈裟でなくていい」とか、、、
おいっ?!待てよ?
ささやかな花でいいと言っている一方で勝ち切る覚悟って?
結局50歳になっても意味不明なことを思っているんだな。
全くもって進歩のない私( i _ i )
お腹すいたな←結局そこか。
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