見出し画像

一粒の種

言語

種の事を色々考えていたら

そういえば聖書の言葉に
「一粒の麦もし死なずば」
というのがあったなあ。
一粒の麦がもし地面に落ちて死ななかったらたくさん実るんだよね?
と思ったら!
いやそれがですね改めて調べてみたらあーた!びっくりしましたわー!
この言葉は新約聖書のマタイ伝にあって
「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし」
現代語では
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」
これはどういうことだろかと少々悩んでしまいましたな。
どうして死んでも多くの実を結べるのか???
さーっぱりワカランかったのでござる。
というワケで調べてみると
一粒の麦の粒が一粒の麦の粒であるままだと
いつまでたっても一粒の麦の粒でしかないが
麦の粒であることをやめて(=死ぬ)種になれば成長して多くの実を付ける
といった意味なのですな。
うーむ、死生観の違いと言ってしまえばそこまでですけど
キリスト教には「輪廻転生」っていう考えはないよね?(知らんけど)
自分的には一粒の麦は食べられる粒であり芽を出す種でもあって。
そこにはっきりと違いはないのでござる。
聖書がここで言いたいことは
キリストは死ぬことで多くの実りを人に与えた
ということでいいのかしらん。
教会の解説の中には
麦の粒が地に落ちて死ぬというのは
地面に落ちて腐って無くなることではありません(意訳)
と説明しているところもあって
ここの所やっぱり腑に落ちない人たちはいるのですな。
ここ日本は・たとえ寒冷地で乾燥している(本州よりは)北海道でも
キリスト教の生まれた乾燥地帯よりはるかに温暖多雨で
命のつながりが目に見えるような環境だからかなー、と。