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大晦日の夜

子育ての風景

子どものころ
大晦日の次の日が新年になるというのがなんだか不思議で
大人たちが夜更けまで起きているのがうらやましかった。
自分も夜中の12時まで起きていて
なんとか新年になる瞬間を体験したいと頑張ったが
どうしてもその前に眠ってしまう。
目を覚ましたらもう新年になっていて、大人はずるいと思っていた。

中学生になってやっと布団の中で12時まで頑張って
ラジオの時報を聞くことが出来た。
「やった!新年になった!」
でも
別に何が起きるわけでもなく
あれー
という感じ…

何か、夜中の12時というものがすごく特別なもので
12月31日と1月1日との間には
何かがあるんだと、ずっと思っていたのに。
さてそこで
イマドキの一日の始まりは午前0時のようだが
体感的には夜明け、だと思っている。
昼間の終わりが一日の終わりで
夜は一日の終わりと始まりをつなぐ緩衝地帯だ。

で、年が替わる特別な日が大晦日なのだが
紙一枚の薄い時間で
手の平を返すように日が・年が替わるのはちょっと勘弁してほしい。
一日・一年の始まりは「朝」でよいのではないか。

何事も新しいことが始まるのには
少しの「ため」というか・余白というか
本だって表紙の次に見返しが付いているではないか。
新聞みたいにいきなり文章が始まったらあまりに「みもふたもない」。

新しい日・新しい年が始まるときには、ちょっと緩衝地帯が欲しいし
ましてや新しい年を迎えるなら
本当は日が替わるときよりも長い緩衝地帯がほしい。
例えば
三が日は家で「夜の時間」を静かに過ごして
行く年・来る年を思っていたら
三日目にはもう
昼間の時間に飛び出したくてバタバタしてくるのじゃあるまいか。
それともちょっと立ち止まってみたいのは
年のせいか。

ちなみに
高校生の時
初めて徹夜というものをやってみると夜は決して永遠ではなく
時間が来たら必ず明けるのだとわかった。
あたりまえなのだが。

その後徹夜しても課題が片付かないということを経験し
夜が万能ではないことがわかってしまった。
いわゆるひとつの夢がついえたということだ。

わからないでいたことが
わかってみたらすごく小さなものだったという小さな体験。
大人になって、その逆もたくさんあったが。(笑)