物語 根の国(3)

★タナカさんの秘密

「初仕事」を終えて戻ってきたらもう夕方になっていた。
そこのおじいちゃんとおばあちゃんに「つかまって」しまったのだ。
町内会の役員のグチやら年金のボヤキやら息子の悪口やら孫の自慢やら
それがまたすぐに同じ話になってそれがぐるぐる、ぐるぐると…。
やっとのことで肝心の話を片付けて退散したのだ。
帰りにはデパートの紙袋一杯の「お土産」を持たされてしまった。
ボクはじいちゃん、ばあちゃんと一緒に暮らしていたのでお年寄りには慣れていたつもりだけど、それでも仕事で来ているのだから時間が気になってしょうがなかった。

戻ってきたボクを見てタナカさんは「にゅいっと」笑って「お疲れ様、つかまっちゃったねえ」「若いのによく辛抱したね。お客さんのお話に付き合うのも仕事だからね。」
「で、何いただいてきたの?」
ガムテープで閉じられた袋を開くと中身は
大量の焼き海苔とジャガイモ1個とピンクのもこもこスリッパだった。
(ワケわかんねえ)

そうこうして
ボクの初めての仕事「町内がん検診のご案内」の作成が無事完了した。
何とすべてタナカさんの手書き。文字はもちろん送迎バスや検診の絵まで。
ボクの目の前でするすると…
ああいうことをやられるとなんというか言葉も出ない。
そしてボクがあのおじいさんの家まで出来上がった原稿を届けに行ったら
やっぱりつかまってしまってまたお土産を持たされて帰ってきた。
用意して待ち構えていたらしく高そうなハムと大量のチョコレートだった。
「気に入られたねえ」とタナカさんが「にゅいっ」と笑った。

そのあとは次の仕事の打ち合わせまで間があるということで三日間のお休みになった。とはいえ金曜から日曜までなんだけど。
まだたった二日しか経っていないのにすごく仕事をしたような気がして疲れていたのでここで休みになるのはありがたかった。
ボクは家の仏壇の前で「ナンか、今度は、うまくいきそう」と報告した。
並んだ位牌の前にチョコレートが山盛りになった。

日曜日の夕方近くになって
ボクは事務所にカード入れを忘れてきたのを思い出した。
別に今日これからカードを使うこともないだろうと思いつつも何だか気になってしまって落ち着かないので取りに行くことにした。
歩いて13分だしついでにコンビニでゴミ袋を買ってこようと思ったのだ。
鍵を開けて冷え切った事務所に入るとカード入れは記憶の通り机の上に置いてあった。
ほっとしてバッグにしまいながらドアに向かったとき
ドア横の衝立の裏から「ぱたり」と音がした。
心臓が音を立てて喉元に飛び上った。
怖いくせに思わず衝立の裏を見てしまったらそこには

タナカさんが立っていた。

強いたき火の匂いがする。
なにこの格好!おまけに裸足!
タナカさんは「にゅいっ」と笑って
「見つかっちゃった」

ボクは事務所に出入りするとき必ず火元を確認するようにしていた。
だから今日だって部屋に入るとすぐ衝立の向こうに首を伸ばしてガスコンロを見ていた。だからボクが来たとき絶対に・確実に・間違いなく事務所には誰もいなかったのだ。
で、ナンでタナカさんが突如として現れなけりゃならないのか?
まだ心臓がぱくぱくして混乱しているボクに甚平みたいな服を着たタナカさんは「キミになら、教えちゃってもいいと思うんだな」と言いつつも首をかしげている。
「これもご縁だと思うんだよねえ」

タナカさんはポータブルストーブに点火しながらちょっと待っててと言って
流しで湯沸かし器からお湯を出して石けんを泡立てて手と顔を洗ってちょっと考えてからシンクに足を持ち上げて片足ずつ洗ってから衝立の陰に入ってごそごそ着替えをした。
ナンか、スーパーマンが電話ボックスで着替えてるみたいな。

「ああ、ホントに湯沸かし器はありがたいねえ」
いつものラフな服になったタナカさんはストーブをそばに引き寄せてボクと向かい合った。
タナカさんからまだ強いたき火の匂いがしている。
ボクが待ちきれずに聞いた。
「あのあそこに流しの下とかに抜け穴があるんですか?」
「うんうん抜け穴には違いないんだね」
タナカさんは「にゅいっ」と笑った。
「実はあそこには時空の抜け穴があってだねえ」
ボクはそんな冗談には構わずに
「戦時中の防空壕とかが残ってる、とかですか」
「あ、あの税務署に内緒とかほら固定資産税が、って」
「大丈夫ですボク言いませんから絶対!」
「うふふふふふふ」
タナカさんは身体を震わせて笑っていた。
「キミは、いい人だねえ」
笑い過ぎてちょっと涙目になっていた。
「今ね、教えてあげるからね」
その前に珈琲が飲みたいなと言ってタナカさんは衝立の向こうへ行った。
いつも通り渡されたコーヒーミルをボクはごりごり回しながら考えた。ミルを回すと着たままのダウンジャケットがすれてシュッシュッと音を立てる。

きっとタナカさんはこのビルの地下に隠れ家を持っているんだ。
きっと戦時中は防空壕にしていたような秘密の地下室があるんだ。
そこで現代の軽薄な文化を脱ぎ捨てて
たき火を見つめて大地を感じているに違いない。
ボクはホントにタナカさんを尊敬してしまった。
いや憧れてしまった…。

珈琲を一口すすったタナカさんは
「うまいねえ」とつぶやいてからゆっくりと話し始めた。

このタナカビルヂングは昭和2年にボクのジイさん、「きちのすけ」が建てたのよ。で、オヤジの「きちたろう」が昭和30年にタナカ書房を始めてね。
で、その年にボクが生まれたわけ。
ジイさんは昭和20年に東京に行っていて空襲で死んだ
…ことになっているんだけど
実はね
ジイさんは東京には行ってなかった、とオヤジから聞いているのよ。
オヤジが言うにはジイさんはあそこの
(タナカさんは振り向いて衝立の向こうを指さした)
あそこのガスコンロの前から消えたんだと。

(続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?