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ローマ軍の末裔が

読書

東洋文庫の「酉陽雑俎」を読んでいて面白い話を見つけた。

「酉陽雑俎1」巻四 境異 
一六九

堅昆部落…の人々は、髪が黄で、目は緑である。口ひげと頬ひげは赤い。その口ひげ、頬ひげがみな黒いのは、漢の将軍李陵および兵隊たちの子孫である。

あっ!!
李陵―――!!
じゃなくて
これはこれはアレではないですかー ♪
実は20年ほど前にスペインの新聞に出ていた記事を教えてもらったことがあって辞書を片手に訳してみるとナンと今から2000年ほど前にローマ帝国の軍隊が中央アジアで行方不明になったのだが、どうやらその子孫ではないかという人たちの村が中国にありその軍隊は漢の軍勢と出会って捕虜になってまとめて一つの村で暮らすようになったのだと。
その人たちは鼻が高く、赤毛の人が4割くらいいて
コーカソイドのDNAを持つ人が6割ほどいたのだと。(うろ覚え)
それで今、改めてネットの情報を掘り返してみると
その土地は中国・甘粛省金昌市永昌県者来寨村であるようだ。
ただし
コーカソイドのDNAは持っていても
それが件のローマ兵たち由来かはわからない。
そもそも中央アジアはシルクロードで知られるように
長らく東西の行き来があったのだから。
ちなみに
この「酉陽雑俎」は唐代の書籍で成立したのは西暦860年ころであるが
1060年に成立した唐代の正史「新唐書」にも
…人々はみな身長が高く大きい。赤髪で顔は白く、瞳は緑で、黒髪を不吉とする。黒い瞳の者は…李陵の苗裔(びょうえい)という云云
と記されているのだと。
漢の国が版図を拡げたあたりの話は李陵と司馬遷のエピソードだけでなく
掘り返し始めると面白い話がぞーろぞろ出てきてしまい
収拾がつかなくなるので新唐書まで手を伸ばすのはやーめた、にした。
引き返す勇気は必須であるw
ともあれ
思わぬところで20年前の思い出に出合ったような気持なのでござる。

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