白鳥の首型フラスコと考え方
勉強
子育ての風景
中学の生物でパスツールの白鳥の首型フラスコのことを習った。
肉汁を入れたフラスコの首を熱して、白鳥の首のように湾曲させて横に長く伸ばす。いや、今になって考えると、横に長く延ばしたら自重で湾曲したのではないかと思うがそれはともかく、その肉汁を沸騰させた後、放置しておくと長く延ばしたフラスコの口は開いているのに肉汁は1年以上も腐敗しなかった。微生物は、細長くなったフラスコの首の内側に「ひっかかって」しまったのだと。
中学生の自分が不思議に思ったのは
フィルターではないのに微生物が肉汁まで行きつけないことだった。
「細いガラス管にひっかかってしまう」?
全部が?ひとつ残らず?絶対に?
1つぐらい肉汁まで漂っていかないのか?
改めて考えてみると
空気が自由に出入りしているのなら
肉汁の水分が蒸発して減っていくはずだから
1年以上そのままで干からびない、ということはないはずだ。
つまり空気の出入りはほとんど無かったのでは?
だから空気中に漂っている微生物は途中でくっついてしまったというより
空気と一緒に肉汁のあるところまでは流れて行けなかったのでは?
いやまてよ
肉汁を沸騰させてから置いておくと次第に熱い肉汁はさめてフラスコ内の水蒸気も冷えて水になって体積が激減するから内部の気圧が下がって微生物の入った外の空気がゆっくりと流れ込んでくるはずだ。
で、ナンで腐敗しなかったんだろう…
細い首の部分には
水蒸気が冷えてできた小さな水玉が一面に張り付いていたのでは?
微生物はそこに「ひっかかった」?
細い管の中の水滴はゆっくりと消えていくが
微生物は水滴が消えてもそこにとどまる。
細かい水滴がついたガラス管がフィルターの役割をしたのだろうか。
そして空気圧が同じになってからは空気の出入りはほとんどなかった
ということでは。
生物の時間にそこまで説明していなかった、と思う…
さてそこで
明治時代に全力で西洋の先進国に追いつこうと最新の知識を求めた結果、日本にはおびただしい西洋の知識がなだれ込んだワケだが、それは個々の知識そのものだけになりがちでその知識を支える根本的な論理的思考までは移植できなかったのではなかったか。長年の封建思想が数十年で消えるわけはないし、なんなら今でも残っているし。その知識を得るに至った試行錯誤の過程というか学問の考え方の方は十分に取り入れられなかったように思うのだ。教えられたこと・言われたことは疑問を持たず反論・批判もせずに「お上」「先生」には黙って従え、という思想が今に至るまで続いているように思う。授業で質問したらあからさまに嫌がったり「反抗的だな!」と怒る先生、いたものなあ。
まあ、西洋だってゼンメルワイスの悲劇があったワケでつまりは人間ってそういうモノやぞ。