上手に迷惑をかけて
コミュニケーション
ここ数年、自分の周りでは自力で暮らせなくなった高齢者が少なくないのだが、困ったことに、みなさん頑なに誰の世話にもなりたくない・迷惑をかけたくないと言い続けた結果、却っていろいろ大変になってしまったのでござる。(トホホ)
実は、人間誰しも多かれ少なかれ必ず誰かの世話になっているもので、それは子どものうちや年を取ってからだけではなく、いい大人でもお互い様でお世話をしたり・お世話になったりしているものなのだ。
考えるべきは
どうすれば人の世話にならないか
ではなく
どうすれば「上手に」「うまく」お世話になるか
ではないか。
生きている以上は必ず世話になったり・迷惑をかけるものだから
そこを出発点にして考えた方がいい。
さてそこで「上手に」「うまく」お世話になるなら
エンディングノートだの遺言書だのを思い浮かべるかと思うが
いや実際には
大事な書類や印鑑や通帳などを決まったところに保管して
それを管理してもらいたい人に伝えておく方が先だ。
(遺言書が無くてもとりあえずは法定の取り分は決まっているのだから)
認知症が進んで施設に入るとか入院することになってからモノだらけの家中ひっくり返して探し回って、いやまったくエライ目にあったという話は珍しくない。そもそも、まだ若くて働き盛りだとしてもいつ何時何が起こるかわからないものだし。
まだ大丈夫なうちに大丈夫ではなくなった時の準備をするのはまことに至難のワザであるが、雨漏りは晴れの日に直せと言うではないか。
自分もできるだけ「上手に」迷惑をかけたい、と思っている。
さてそこで
動物園の人によると
動物は、たとえ具合が悪くてもそのことを敵に悟られると襲われる可能性が高くなるので、ほとんどダメになるまで平気な様子でいるのだと。
だから動物園の飼育員が様子がおかしいと気付いた時には手遅れだったり、さらには死んでしまってから気付くこともあるのだと聞いた。
だがしかし・いや・それでも人間は
弱ったところを絶対に見せてはならない、ってことではないと思うのだ。
そりゃあ、世の中には弱った心につけ込んで高価なお守りだのアヤシイ健康食品だの売りつける輩もいるのだが、困ったことをちょっと相談しただけで助かることだってたくさんある。
こうやって賢く助け合えるのが人間なのであってだな。
恥ずかしいからとか迷惑をかけたくないとかの「つまらない」気遣いでその人が大変な目に遭ったら、周りの人たちは相談してもらえなかった・知らなかった・気づけなかったことで、やっぱり心苦しかったり、傷ついたりするものだ。
だから
いよいよ手詰まりになるまえに
いや手詰まりじゃなくてもなんでもなく生きている普段から
他愛のないことでも話していれば、と。
人間だもの。
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