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子どもたちのために!

何十年か前
札幌の地下鉄ができたばかりで
今のようなスムーズな乗降マナーができておらず
ホームに地下鉄が入ってくるたびに
乗る人降りる人が我先にと混乱状態になっていた頃のこと。

地下鉄に乗ろうとホームで待っていたら
幼稚園くらいの子ども二人を連れたお母さんが
地下鉄の乗り方を言い聞かせている。

「いいかい、電車が来て、ドアが開いても
すぐに乗ってはいけないからね。」

「みんな降りてから乗るんだよ。」

「降りるまで、じゃまにならないように、脇によけているんだよ。」

子ども達としっかり手をつないだお母さんは
さらに身を屈めて念を押した。

「いいね、わかったね?」

子ども達は素直に大きくうなづいている。

さて、ホームに地下鉄車両が入ってきた。
他のドアのところはいつも通り
降りる人乗る人がごちゃごちゃと押し合っていたのだが
この親子のところだけは
ホームの人たちが全員行儀よくドアの両側に並んで
電車から降りる人を通そうと待っていた。
電車から降りてきた人たちはいつもと勝手が違って
ちょっと戸惑いながらそそくさと歩いていく。
全員降りるのを待って
ホームの人達はその親子を先頭に地下鉄に乗り込んだ。

このとき親子と一緒に地下鉄に乗り込んだ人は
いつもよりずっとスムーズに気持ちよく乗れるじゃないかと思い
そして何か幸せな気持ちになって
次からもこうして乗ろうと思ったのではないか。

もしかしたらここから
今のような乗車マナーが広がって行ったのかもしれない。

また今から10年ほど前
子どもたちのためのワークショップをいくつかやったことがあった。
図書館で「調べ学習」
公民館で「面白科学実験」
学校の教室で「新聞を作ろう」等々
全くお金にならないことを
手間暇かけて準備して・手間暇かけて実施した。
子どもたちが
ホントに小さな子から高校生までそれぞれに
興味を持って喰いついてきてくれた。
なーにが本離れだ!
なーにが理科離れだ!
ホントはみんな、本も理科も何だって大好きじゃないか♪
さてそこで驚いたことは
子どもたちが興味を持ってくれたのはもちろん大きな喜びだったが
そこで協力してくれた大人たちの真剣さだった。
お金にもならないことに・自分の時間と労力を使って
真剣に子どもたちと向き合っていた。
真剣に子どもと向き合うことで
普段は「世の中」に流されて要領よく生きていても
理想なんかじゃなくて都合よく生きていても
できるだけ面倒とは関わらないで”なあなあ”で生きていても
子どもたちの真剣さにつられて
何か、忘れていた情熱を思い出すような
まあ、黒澤明の「生きる」みたいに
すぐに日常に戻るんだろうけどな、とは思いつつも
ちょと、じーんと来た。
たとえすぐにまた日常に戻っても
その人たちの中に
小さな星が光りだした、のではないか。