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奇人変人の相あり
昔々、姓名判断の本で自分の名前を見てみたら
ただ一行
「奇人変人の相あり」と。
他のところはみんな何行か使って詳しく書いてあったのにもかかわらず。
まあ、自分が奇人変人なのはわかってはいたが。
姓名判断と言えば、大昔に母が自分と家族の名前を見てもらったのだと。
よく当たるというので有名なお坊さんだったらしい。
母が父の名前を見せると
「奥さん、人が悪い。私を試しているのでしょう。」
「これはもう、亡くなった人の名前ですよ。」
と言われたのだと。
父は出征していたが生還しており
母が、まだちゃんと生きていますと言うと
「それならそれはあなたの運勢が非常に強いからです」
「ご主人はあなたのおかげで生きている」
と言われたのだと。
母が長生きできなかったのは、そのせいだったかしらん。
自分としては
“名前は後からついてくるもの”である。
そのいい例が「鈴木一郎」で
人は自分の名前を背負って生きるが・名前の先に立っているのは人である。
大切なのは、どういう「鈴木一郎」なのか。
新聞でも何でも人の名前を見ると
その人の親がどういう気持ちで願いを込めて名付けたかを想う。
さてそこで
「変わった人」だと、そう悪い意味ばかりじゃなく
自分としては「個性的」という意味に取っているが
これが「変人」となると、穏やかに社会生活を送るのが難しくなって
さらに「変な人」になると、社会からはみ出てしまうと思う。
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ウチのおじいちゃんおばあちゃんだと
「変人」でも「変わった人」でもかなり悪い意味で捉えており
いくらこれは誉め言葉として言っている、と教えても納得してくれない。
昔の没個性を良しとする教育の“賜物”である。
ちなみに
中には世間からはみ出さないためには
犯罪を犯してもかまわないという人間もいてだな。