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覆水盆に返らなくても
覆水盆に返らず
これは高校の古典で習ったなあ。(みんなー、覚えてるかー!)
「やっちまったことは取り返しがつかない」
ものすごくネガティブなことわざとして心に焼きついたものだ。
さてそこで
これまでのたくさんの「やっちまった」を振り返って
つらつらと後悔と反省を込めて考えると
確かに「やっちまった」こと自体は取り返しがつかないのだが
あ と し ま つ は す る ぞ
そして
や り な お し は で き る ぞ
と、言いたい。
声を大にして!
子どものころから
ひっくり返ったお盆を前に呆然と突っ立っている人間だった。
失敗すると
もうダメだと悲しくなってしまって・何もできなくなっていた。
「覆水盆に返らず」は失敗したらオシマイ、ということになりがちだが
それでも
拭き掃除をして、お盆は元に戻して水を満たし
ごめんなさいは言わなければならない。
許してもらえなくても。
子どもだった自分の不始末というのは
実は親や兄弟やよその人が始末してくれていたのだが
自分の不始末を始末してくれる自分以外の人の姿が見えるようになったのは
ずいぶんと年齢を重ねてしまってからだった。
自分の不始末は始末しなくてはイケナイ。
それだけでなく、自分じゃない誰かにしてもらったように
誰かの不始末を始末することも。
同時に、どうすれば不始末をしないか・うまくやれるかを考えて
次に(!)備えなくてはイケナイのだ。
失敗したら終わり、じゃない。
人生は失敗とやりなおしで構築されているのでござる。