面白さとは
テレビなんかでベテラン芸人の苦労話を聞くと
本当に「いたたまれなく」なってしまっていた。
大抵今どきの若者に対しての小言なのだけど
自分の若いときの苦労はこんなモンじゃなかった
死に物狂いで修行して、ついてこれないヤツなんかやめっちまえ
親の死に目にも会えないのが芸人だ
それがクニの親が心配だから帰りますたぁナニゴトか
以来、テレビを見ていると
この人、こうやって笑顔でやってるけど
ものすごく辛い、大変な思いをして修行して
命がけで、やっとのことで身につけたという芸なんだろうなあ
私みたいなぐだぐだなヤツが見ていていいんだろうか
ああ、見てられないなあ
済まなくて辛いなあ
そういうわけで
落語でも漫才でも手品でもドラマでも
テレビを正視できなかった時期があった。
ホントのところ
お客さんに見てもらうために
辛い修行をしているはずなんだけどね。
うわあすごい、とか
ホンッとに面白い、とか
見るとほっとする、とか
やってる当人はお客さんに楽しんでもらうのが
一番嬉しいことなんだと思うんだよね。
だから、苦労話をするときには
私が一番やりたいことは
お客さんを喜ばせることなんだから
それが一番嬉しいんだから
そのためにはどんな苦労でもしますよ。
だって、お客さんに喜んでもらうためには
生半可な修行じゃ足りないんだから
なあんて…言って欲しいなあ。
シェイクスピアの「ハムレット」には
「foolにfoolは務まらぬ」というセリフが出てくる。
foolには「バカ」の他に「道化」の意味があって
つまりは、バカな人間には道化はできない =道化はバカではない、ということだ。
道化は日本で言えばお伽衆で
豊臣秀吉に仕えた曽呂利新左エ門のような人。
主君のそば近くで当意即妙の言動で楽しませたり和ませたりする。
当然、下手をすれば主君を怒らせてしまうので
下手をすれば文字通り「首が飛ぶ」。
だから、頭の回転が速く・場の空気を読めないと務まらない。
加えて、面白さというのは「常識」をうまく外すことなので
基準となる常識を持っていなければ外しようが無い。
ゆえに、面白い人は常識人である。
そういえば
息子が中学生になったばかりの頃
パソコンでナニやら読んでいたが
ちょっとこわばった顔でこちらを振り向いて
ねえ、「一酸化二水素」って、すごく怖いんだって
常習性があって、取りすぎると死んじゃうんだって
だけど、日本人はみんな毎日これを取っているんだって
「えーっ?一酸化二水素?ってゆったら、オマエ、H2Oじゃないの?」
と、息子が見ているパソコンの画面を見てみたら
「虚構新聞」だった、というオチ。
このサイトは学校で友達に教えてもらったそうで。
中学校に入ったばかりでまだ元素も化学式もよく知らず
ナンだか聞いたことのあるような難しい言葉 一酸化二水素におびえていた息子。
これは面白い話なのだよ、と教え諭す自分。
親とは大変なお仕事だ。
そんな息子も
今では職場で技術研修の講師もやってるとか。
知識は無いところからの積み重ねだなあ、と。
面白さは知識があってこそわかるモノ。
面白がらせる方だけでなく
面白がる方も共通の認識・知識が無いと面白がれない。
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