見出し画像

絵本の読み方

子育ての風景

主に幼稚園前の子ども達向けに
絵本を読んだり手遊び・工作をするボランティア団体にいたことがあった。
複数やっていた時期もあったし期間も長い方で8年ほど。
そんなワケで
何度かおかあさん方から絵本の読み方について聞かれたことがあった。
読んでやりたいが、どう読んでいいかわからない
間違った読み方はしたくない
正しく読みたい
という、大変に真面目な方々であった。

結論から言うと

正しい読み方などというモノは無い

絵本は親子が一緒に良い時間を過ごすための「手段」なのだ。
毎日読まなければならないワケじゃない
一日何冊読まなければならないワケじゃない
正しい音声で読まなければならないワケじゃない
ましてや何かを覚えさせるために読まなければならないワケじゃない

言葉を覚えさせるために絵本を読むのではなく
絵本を読むことで言葉も覚えていく
ということだ。
その場面、場面と言葉とのつながりが
そのまま子どもの頭と心に染み入っていく。
染み入ったものは容易に外からは見えないが
これらの世界は子どもの中で人間の土台になっていくのだ。
読む人の声で淡々と読めばいい。
何も声優のように読まなくていい。
その声は子どもの中でその子の絵本の世界を育てていくのだ。

大人はあせって「成果」を求めてはイケナイ。
絵本を読むこと自体を目的にしてはイケナイ。

さてそこで
絵本の読み聞かせのボランティアのメンバーには上手な人が何人もいたが
「別格」の人がいたのを思い出した。
私が所属していたお話会の活動がローカルテレビで紹介されたことがあって
それを見て参加したいと言ってきた60歳くらいの方で
ぜひ小さな子どもたちに絵本を読んでやりたい、ということだった。

その方が初めて子どもたちの前で絵本を読んだとき
自分も含めて他の誰よりも心に染み入るような読み方だと感動した。
とろけるような笑顔で
ゆーっくりと読む姿が今でも目に浮かぶ。
小さな子たちに絵本を読んでやるのが楽しくて幸せでたまらない
そういう気持ちがその場をとろりと包んでいた。

会では年に何度か集中的に絵本を読む練習をやっていて
メンバー自身、それぞれがかなり厳しい基準を維持していたと思う。
絵本は子どもが見やすいように持てるか
スムーズにページをめくれるか
アイコンタクトを取っているか
声が後ろの方まで届いているか
などなど、心がけていることは種々あったが
その方のとろけるような読み方を見て
これが最上の読み方だと思った。
ただ
その方には心を病んだ家族がいて
やはり短い時間でも家に一人で置いて来られないとのことで
ほんの数回の参加で辞めざるを得なかった。
その後数年して・今の家に引っ越してきて程なく
ニュースでちょっと珍しいその方の名前が流れて
火事で亡くなったと知った。

その方にとって、あの絵本を読んでいたひとときは
幸せな時間であったのだと思う。
傷ましくも懐かしい思い出。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?