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呆然とされた思ひ出

コミュニケーション

以前、駅近くのバス停でバスを待っていたら
○○(市内の某有名観光地)行きのバス停はどこですか?
と若い男性に尋ねられた・が、わからなくて。
自分が普段使っている路線はそこそこわかっていても
知らないところは判らないのである。
その人は日本語で話していたが中国語っぽい訛りがあったので
おそらくは留学生であろうと思った。
そうですかと言ったその人は向きを変えて駅の方へと歩いて行ったが
その後ろ姿を見送りつつ思いついて
100mほど追いかけて声をかけた。
目の前の駅に入って総合案内所で聞いたらバス停の場所を教えてくれますよ
確かそこ行のバスは駅からも出ているはずですよ、と。
するとその人は「ああ、そうか」という顔をしてすぐに
あなたはわざわざ教えるために追いかけてきたのですか?
と言ってしばし呆然としていた。
ええ、と言って私は自分のバスに乗るために戻って行ったが
そんなに呆然とするくらい驚く事だったのだろかと自分が驚いた。
いつものバス停に戻ってから改めて隣のバス停の行先をみたら
まあ、なんということでしょう!
その人が乗るべきはその、隣のバス停だったのでござる!
あーらららんらん(汗
でも、これで一つ覚えたから・次に聞かれたら答えられるからヨシッ!
と自分に言い聞かせた。
いや・もしかしたら
その人は初めから駅で聞こうと思って歩いて行ったのかもしれないが
わざわざ教えるために誰かが追いかけてくるとは思わなかったのだろう。
あるいは駅で聞いてこのバス停までは来られたのかもしれないし。
だけどだけど・もしかしたら
この人にとって日本で体験した一つの小さな「良い事」になっているかも?
かもかも?しれないなあ、と。
そうだったらいいなあ、と。

画像はダリアの最後の一輪。