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アオダイショウの思ひ出から

勉強
子育ての風景

昔々秋の休日、野草園に行ったとき
アオダイショウがエゾリスを呑んでいるところに出くわしたことがあった。
見つけた時は口からリスの下半身がはみ出ていたが(画像自粛状態)
しばらく見ていたら
獲物をくわえたまま笹薮の中にじりじりと後退していった。
前に来たとき、ここで見たリスだろうか。
足元にクルミの殻がひとつ、ぽつんと落ちていた。
アオダイショウはこれで一冬安泰なのだろう。

中学生の時は気象天文部だったが
理科室を生物部と一緒に使っていたこともあって
何となく生物部のエサやりにも勝手に混ざっていた。
庭でミミズを採ってきてアカハライモリに食べさせたり
アオダイショウに卵をやったりと。
生卵をビーカーに割り入れてよくほぐして
アオダイショウの首の付け根を優しくつかみ
実験用の長いガラスのスポイトで卵液を口の中に注入してやった。
おとなしくスポイトから飲んでいた蛇の感触が懐かしい。
「おい、今日はソイツ荒れてるから気をつけてな!」
担当の先生の手には小さな歯形がついていた。
私たちは蛇を優しくカゴから取り出して
「先生、大丈夫ですよ- ♪」と。
さてそこで
蛇が再生のシンボルになった理由として
変形する生き物であるとか、脱皮を繰り返すことが再生につながるとか
とぐろを巻いた姿が山に似ているとか、色々挙げられているのだが
自分的にはどうしてこれが言われていないかな、というのが
獲物を丸呑みにする事。
水鳥は魚などを丸呑みにするので「鵜呑みにする」という言葉もあるが
呑み込んで腹に入ってしまえば表には見えない。
しかし蛇は身体が細い上に変形するので
何かを呑んだことが丸ワカリ!
野生の蛇はとき卵をスポイトで飲ませてもらえないので
リスやネズミや鳥のヒナなどを丸呑みにして
その後しばらくの間は、とぐろをまいたりしてじっとしている。
たくさん食べたから運動しなくちゃ、ナンテことは考えない。
出来るだけ無駄なエネルギーは使わないのが野生である。
特に爬虫類は。
さて自説を開陳するぞw
ヘビの、この獲物を丸呑みした姿あるいは
大きなお腹を抱えてとぐろを巻いている姿は
まるで出産間近の妊婦に見えないだろうか。
獲物の命を丸ごと飲みこんで、お腹を大きく膨らませて
次第にお腹が小さくなっていく、というのは
まるで妊娠してやがて出産する過程の真逆には見えないだろうか。
丸呑みの逆は丸出し(違
妊婦はあの世からこの世に命を取り込むポートで
蛇はこの世からあの世へと命を送り出すポートである。
どちらも、「ゆっくりと時間をかけて」というのがキモ。
そしてそして一番言いたいのは
蛇というシンボルを扱うならば
考古学者だろうと民族学者だろうと民俗学者だろうと神話学者だろうと
文献や資料だけを参考にするのではなく
実際に蛇を飼うとか・観察するとかすべきだと思う。
文系だからなんて言わないで。