「空白の天気図」を読んで
記憶は消えるが記録は残る
「空白の天気図」柳田邦男 を読了。
昭和20年8月6日、広島に原爆が落ちたことはよく知られたことだが、広島がそのひと月ほど後、9月17日の枕崎台風で悲惨な追い打ちをかけられたことは一般に知られていないと思う。
この本は原爆の被害と台風の被害を記録し続けた広島地方気象台の奮闘の記録だ。
いや、記録し続けたというだけでは足りない。
気象台も職員もその家族も原爆の被害を受け
通信も途絶し、食料も記録用紙も乏しい中で
観察し、記録し、判断して、その記録を後世に残そうと奮闘したのだ。
その活躍は気象台内にとどまらず
焼け野原になった広島市内のみならず黒い雨の降った山間部まで入り込んで
一般の人々に話を聞き、被害の状況を観察し、克明に記録している。
「人間の記憶は誤りを含んでいることが多いから
話が食い違っていることがあってもそのまま記録すること。
ムリにつじつまを合わせようとすると、誤りに誤りを重ねることになる」
「直接災害にあった人は忘れないが、後から来た人は考えもしないだろうからそのために災害記録は残しておかなければならない」
「さまざまな記録や報告書を残す仕事は
未解決の過去を絶えず現在形に置き換える作業ではないか」
などなどの言葉に、深くうなづいてしまった。
人の記憶は、記憶された瞬間から変容していき
人の死とともに完全に消え去る。
しかし、記録は残る。
記憶は物語となり、記録は歴史となる。
今は解決できない問題でも
記録があれば、解決への希望が生まれる。