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戸締りと情報戦
コミュニケーション
子育ての風景
実家は戦前に建った家で玄関は板にすりガラスの引き戸だった。
そのころの家は多くがウチのような引き戸だったので
家の中から何となく外の様子がわかるものだった。
思えばずいぶん「きゃしゃ」な境界線だったものだ。
戸締りといえば差込錠とか簡単な「しかけ」で今よりずっと単純だったし
裏口には錠がかかってなかったですな。
ただ、その頃の家の戸はそれぞれに強い癖がありましてな
訪ねてきたお客さんが帰るとき
玄関に下りて「それでは」と家の人が戸を開けようとするとお客さんが「いえ、いえ」それには及びませんと自分で戸を開けようとすると
…開かない。
ガタガタさせていると家の人が
「ええ、その戸はこう、ちょっとこちらに引いて持ち上げて…」
と教えてはくれるものの…。
「ちょっと失礼します。」
と、家の人が前へ出て戸に手をかけて引くとあっさりなんでもなく戸が動く。
「いや、うちの戸もこうでして―」
なんてお互い笑いながらお客さんはお帰りになる。
玄関のドアをイスラエル製の頑丈なものにしたら窓から泥棒が入った
という話も読んだことがあるが
こういう、マニュアルどおりには動かない「個性豊かな」戸が
実は最強の戸締りかもしれぬ。
その後時代は高度成長期に入り
次第にアパートやマンションなどの集合住宅が増えて
外と内は頑丈な玄関で隔てるのが普通になり
戸建て住宅でも外の見えない玄関が増えていくのである。
さてそこで、これまで何度か引越しをして
家の中から外の様子がわかる家、わからない家両方経験したが
私は外の様子がわかる方が安心できる。
アパート生活が長かったが
アパートは玄関のドアこそのぞき穴からのぞかないと見えないものの
外の様子は存外わかるものだ。
窓やベランダから通りはよく見えるし階段を歩く足音は結構響いて
慣れるとそこの住人かどうかも分かるようになる。
考えてみると
外の様子がわからなかったのはここに越してくる前の借家だけだった。
居間から裏庭はよく見えるものの、表はドアを開けるまで見えなかった。
アパートのように足音が響くわけでもなくて
訪問者があると、ちょっと緊張感があった。
家の中にいて外の情報を取れるというのは実は一種の情報戦だと思う。
何となくでも大まかな情報を取れるかどうかは
外の何かを迎え撃つ時だけでなく
近所同士で助け合えるかどうかにも響いてくることを実感してきた。
現在の家は居間から玄関前が丸見えなだけでなく
通りを行く人や車もよく見える。