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闘う側に立つ

悪夢に悩まされていたことがあった。

コナンの犯人みたいな黒い人が(笑)
刀を持って私を追い詰める。
逃げ場も無く、狭い廊下のようなところで
やられてしまうのだ。
毎日夢を見ては夜中に目を覚まし
暗闇と朝までの時間がたまらなかった。

ある日夢の中で
いつもの廊下に刀が一本置いてあった。
だけど、それを取りにいっても遅かった。
私は刀を手に取ったところでやられてしまった。

ところが、日ごとにその刀の置いてある場所が自分に近くなってきて…

そして、夜布団に入ったとき
「最初から刀を持っていればいいんだ」と
両手で自分の刀を持っていることをイメージした。
右手で柄を握り
左手で鞘を持って

「これで、アイツが来たらすぐに刀を抜いてやる」

両手で刀を持っている気持ちで眠りにつくと

…もう、その夢は見なくなった。

きっと、悪夢を一刀両断したのだと思う。

いやだいやだこわいこわい、とだけ思うのではなく
どうすればいいかを本気で考える
そういういうことだと思う。

そうだ
逆に、夢の中で自分が襲う側になったことがあった。
自分は灰色のずんぐりした大きなケモノになっていて
当時ものすごく嫌いだった上司を廊下の突き当たりに追いつめて
襲い掛かって全力で胴体に咬みついて激しく首を振って食いちぎろうと・・・
夜中に自分のうなり声で目が覚めると歯を食いしばっていた。
鬼の形相だったに違いない。
夢の中で化け物に追いかけられる、というのは何度もあったが
自分が誰かを追い詰めて襲うというのは人生でこの一度きり
思えば特異な夢だった。
力いっぱい咬みついて気が済んだのか
いよいよとなれば反撃できると思えたからか
嫌いな上司はまあこんな人だからしょうがないと思えるようになっていた。

さてそこで
映画や小説やドラマで出てくる「祈祷師」「神父」「山伏」など
「妖怪」や「悪魔」や「悪霊」を祓う人たちは
実は「魔」を祓うばかりじゃなくて
悩んでいる人の心を
「闘う」
「悩みと向き合う」方へと
切り替えているのではないか?と
ふと・思ったのでござる。
そういえば
若い頃は人並みに「お化け」がコワかったのだけど
子どもができてからは
「コワいなんて言ってる場合じゃない」
「お化けナンぞぶっ飛ばしてやンぞ」と
完全に子どもを守る戦士モードに替わったw

怪異は人の心が生み出すもので
地獄は人の心の中にある。

多くの悩みは向き合うことで「課題」に替わる。

いくつかの悩みは慰めで癒される。

あきらめるという方法もある。

大事なことは・必要なことは
ときおり立ち止まって
「で、なんで?」「で、どうすれば?」と考えてみることだ。