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ロボット開発

コミュニケーション

ずいぶん前のことだが
看護ロボットについてのワークショップに参加した。
自分はエンジニアでも看護の専門家でもないが
自分の両親を介護したことがあったのと
自分が何度か入院して看護を受けたことがあったのとで
好奇心と、看護される側からの視点で交流が持てればと。

さて、少子高齢化に伴って
看護される側の人数は急速に増えるのに対し
看護する側の人数はそれに追いつかないことから
人手不足を補うために
どんなロボットを・どのように活用するかについて
グループに分かれて色々意見を出してみようとなった。

私のいたグループは進行役を除いて
看護の専門家もエンジニアもいなかったことから
あって欲しいロボットの案はいくつも出たものの
それが現実的で実現可能なのか
つまり、そのための開発技術とコストが実現可能なのかがわからなくて
「きっとそれ、難しくてできないよー」
「きっとそれ、高くて無理だよー」
ということになって
結局かなり「夢の無い」ロボット案に「落ち着いて」しまった。

終わってから「もやもや」と考え続け
やっと
わからないこと・知らないことは判断材料にしてはイケナイのだった
と気づいた。
我々素人はコストや技術に関してはわからないので
そこは無視して・考えに入れずに
「必要性」だけを言えばよかったんだ。
わからないこと・知らないことを判断材料にすることはデキマセン
と常々言っていたのにやってしまった。。。
っていうか
ホントはそこんトコうまく意見を出させるのが進行役なんだよね。

そういえば以前、ニュースでやっていた医師と技術者との異業種交流で
医師が今まで「あったらいいのに・できない」と思っていた装置が
技術者に相談してみたら「はい、それ、できますよー」とかるーく返されて
「私の今までの10年間は何だったんだ…」
と絶句していた。
お互いに知らないものは知らないのだから
まずは聞いてみればいいと思うぞ。

もうひとつ
これも看護・介護に関するロボット開発のニュースを見たときのこと。
見学者たちの見ている中で
ベッドで寝ている人をロボットが抱きかかえて持ち上げて見せたときに
「ロボットが誤作動して人を締め付けてしまうことはないんですか?」
と質問した人に開発側が「それは無いです!」と即答していて。
これは-ちょと、イケナイのではと。
見ている人たちはロボットの仕組みや安全装置については知らないので
ロボットのパワーに対して頼もしさを感じるのと同時に
パワーに対するコワさを感じるのは自然なことで。
ロボットが相手をするのは生身の人間なので
このロボットが安全性という「気づかい」を持ち合わせている
ということをアピールすべきではなかったろうか。
パワー、こええよ。。。

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