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お金というもの

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福沢諭吉と言えばご存じ慶應義塾大学の創設者で
日本で最初に経済学を講じた人物だ。
いや、そもそもeconomyを「経済」と翻訳したのは福沢諭吉なのだ。
ところが
「経済」に精通して経済活動を行っていたのかというと

借金と預金はしたことがない、と。

下級武士の生まれなので
お金が無ければ使わないまで。
返す当てがあるのなら、そのお金ができてから使えばよい。
もし借金をして、その金が返せないとしたら、と考えると
白刃を以て後ろから追いかけられるような心持だろう、と。

お金が手元にあればお金として使う。
あまったお金があれば
銀行に預けておけば利息が付くことはわかっているが
そういうことはしようと思わない。
「封建武士の机の抽斗の会計」で
「文明流の金融法は私の家には這入りません」
それは
自分には武家としての金銭感覚が染みついてしまっているからだ、という。

頭では金融の理屈がわかっていても
心持としては自分はやりたくない。

これらのことを「福翁自伝」で読んで面白いと思ったが
こちらの方が実生活での金銭感覚としては「正しい」ような気がする。

さて現代の話。
先年ウチの孫が来るということで、ウチのおばあちゃんが
「お年玉、どうしようかねえ?まだ小さくてわからないかねえ?」
と聞くから
そりゃあ、何かもらったら嬉しいですよ
特に子どもは紙のお札より「ダラ銭」を喜びますよ
と言うと
ウチの孫から見ればひいおばあちゃんは張り切って
コインケースに用意してある「ダラ銭」の中から
500円玉と100円玉とを取り出して、2500円にした。
それに加えて
うちの夫がさらに張り切って
お金は消毒しないと、と、酸で洗うと言い出したので
洗濯・掃除用のクエン酸で水溶液を作って硬貨を浸すと
まあ、なんということでしょう♪
即座にピカピカになったではありませんか♪
ピカピカになった硬貨を取り出してすすいで
さらに台所用液体石けんで洗ってすすいで
硬貨はホントにピッカピカで、大人までアゲアゲになったのであります♪
こりゃ、宝のコインだね~♪
もちろん、孫は私のあげた「紙切れ」の3000円より
おばあちゃんのピッカピカのコインに興奮して大喜びしたのであった。

その「コイン」で孫はお母さんとお買い物ごっこを始めたのである。
オモチャを並べて
「これ下さい」
「はい、200円です」
最初、本物のお金で遊ばせるのはどうかと思ったが
お金と言うモノはそもそもが「仮想」なんだよな。
息子は、この子に宝ものを入れる宝箱を買ってやろう、と。
うんうん、お金は大事だから、無くさないように管理はキッチリとな!
で、息子が言うに
まだ幼児だから自分でお金を払って買い物をすることは無いけど

この子は買い物に現金を使う所を見たことが無いんだよねー

そうだよねー!イマドキだものねー!
買い物はカードかスマホでするし
子ども雑誌の景品の自動販売機でもカード決済になっているのだと。
そうすると
買い物をして差し引きいくら残る?とか
数字だけの計算になって実感わかないかな?
っていうより、カードやスマホの決済なら暗算しないよね?
昔々、子ども達を連れてバスや列車を使うときに
大人1枚、子ども2枚で合計何円と私が計算すると
子ども達は「お母さん、計算速い!!」と言っていたが
今はそういう場面は無いのだね…。
子ども達は学校で計算問題に電卓使用可だったから暗算は不得手だったけど
それは今でも同じかな。

孫の世代にとって
手に持つことができる「お金」は
物語やゲームに出てくる海賊の金貨のような位置づけで
むしろ、現金でお買い物をする方が
「ごっこあそび」になるのかもしれない。