
わたしの育ち①幼児期(1〜6歳)
わたしの養育環境(虐待)
わたしを形作っているものとして、
わたしの育ちは避けては通れません。
こころの奥がズキッとして、こわばる、
そんな幼いころの記憶が心をうずきます。
わたしの記憶に蘇るのは、絶望感で泣いている
小さいころのわたし。
あの時のわたし、悲しかったね!
わたしには、両親と年子の兄がいます。
両親は自営で、自宅の店舗で仕事をしていました。
職人の父は、夜になるとお酒を飲みに出歩く人。
母は暴力はしないけど、決して抱きしめたりは
しない、なんだかいつも悲しい人。
そして、蔑んだ目で、わたしのことを産まなきゃ
良かったって、何百回も言っていた。
兄は小さいころは、おちゃらけた人だった。
でも次第に父の血を引き、偏った思考に
なっていったように思う。
常に両親がいる、監視されている、そんな毎日。
近くの遊び場に鬼の形相で来て、
友だちの前で殴られたこともあったな。
引きずられるように家に連れて帰された。
たぶん、父親が思うような行動をわたしが
しなかったからだな。
それが許せない、許さないのだ。
わたしは、いつも「痛い、痛い」と
顔やお腹を殴られて、髪を引っ張られて、
泣き叫んでいた。「黙れ、泣き止まないと
もっと殴るぞ!」って脅されてた。
鳴き声が外に響かないように、
クッションで顔を押し付けられている、
そんな暗い息苦しさを思い出す。
そんな状況に、間に入り一緒に殴られていた母も
次第に辟易して、父が怒り出すと自転車で
サーッと家を出ていく。そして、ほとぼりが
覚めた頃いつの間にか帰ってきている。
そして、父がいなくなると兄の番、
父が兄にしていたことをわたしにしていた。
それがいつの間にか、3対1の構図になり、
わたしはひとりぼっちになっていった。
なんでわたしばかり?
なんで怒られるの?
なんで?
なんで?
殴られるたび、
お前なんて生まれてこなければ良かった
恥ずかしい
死んでほしい って
投げ捨てられるたびに、
聞き返していたな。
大人になり、結婚し、子どもを授かって
社会福祉士になったわたしが、
職場を通じて児童虐待の研修に出かけ、
15年前に院内に子ども虐待防止委員会を
立ち上げた経緯のなかで、
誰にもその過去を言えずにいたなぁ、
なんて、そんな自分を見つめています。